なぜ大阪で初の民間「小児ホスピス」は誕生したのか 支援者の特別な思い【石井光太】

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小学生の頃の被災体験

 TSURUMIこどもホスピスの支援者についても同じことが言える。

 コロナ禍でホスピスがクラウドファンディングで活動資金を募った際、募金をした30代の男性がそれだ。

 男性は小学生の頃に親の仕事で兵庫県に暮らしており、阪神・淡路大震災によって家が半壊した経験があった。幸い、家族はみな無事だったが、幼い彼にとってその記憶は鮮烈に残ったようだ。

 大学進学で東京に来て以来ずっと都内在住だが、東日本大震災が起きた際にはボランティアとして被災地に駆けつけた。小学生の頃の被災体験が頭に浮かび、経験者だからこそできる支援があるのではないかと思ったのがきっかけだったそうだ。

 そんな彼がホスピスのクラウドファンディングを知ったのは、SNSだ。小児の難病のことはほとんどわからなかったが、かつて半壊した家を前に呆然とした小学生の自分を思い浮かべた。あの頃の自分より、はるかに困難な状況にいる子供たちが存在するのだ。そう思った時、給料の中から少しだけ支援金を出すことにしたという。

 彼は言う。

「あまり意識はしませんが、命について考える時、小学生の頃に体験した震災が重なることは多いです。いろんな考えのベースにある体験と言っていいと思います。あの出来事がなければ、命について考えることもあまりなかったかもしれません」

助け合いという名のバトン

 こうしてみると、災害や事故の際に命と向き合った経験が、多くの人の後の人生に影響を与えていることがわかる。

 近年、関西ではいくつもの災害や事故が起きてきた。あまりに不条理な出来事だが、避けようのないこの世界の現実だともいえる。

 大きな悲劇の前では、人々の存在はちっぽけなもので、手を取り合い、励まし合って生きていくことしかできない。そうした体験をした人が、数年から数十年後に、形は異なれども、命の危機に瀕している他者に思いをはせ、手を差し伸べようとする。

 私はそんな人々の姿を見ると、彼らが命のバトンを手渡しているようにさえ思える。深い悲しみを生き抜いた人たちが、助け合いという名のバトンを次の世代の人たちに渡していく。そのつみ重ねの中で、私たちの社会は成り立っているのではないか。

 少なくとも私が『こどもホスピスの奇跡』の取材をしながら見たのは、関西で様々な体験をした人たちがバトンを手渡していく光景だった。そこには関西ならではの柔らかい口調や人情あふれる思いやりがある。TSURUMIこどもホスピスには、そのやさしさが連綿と受け継がれているように思えてならない。

石井光太
1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『近親殺人』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。文中でも紹介した『こどもホスピスの奇跡』は第20回新潮ドキュメント賞を受賞。

デイリー新潮取材班編集

2021年10月1日掲載

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