「白と黒」二つの時代を経て横綱・白鵬引退 双葉山「後の先」を断念が転換点

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横綱「双葉山」の言葉

 白から黒への転換、その謎を解く手がかりは、白鵬の「相撲道の追求」と大きく関連しているのではないか、私はそう感じている。

 横綱として盤石の強さを見せるようになってまもなく、白鵬はしきりに「後の先(ごのせん)を目指す」と発言するようになった。「後の先」とは、史上最多69連勝を記録した双葉山が相撲の奥義を語るときに使った言葉。すでに土俵上に目指すライバルがいなくなった白鵬は、自らの先を行った先人の背中を追いかけたのだろう。双葉山の著書『双葉山定次―相撲求道録』(日本図書センター)には、「『受けて立つ』相撲は『心身一如で見る』」といった表現がある。

 横綱相撲の基本は「受けて立つ」にあり、それでも相手に先手を取られることなく、「受け止めて処理する」。そのためには、「外見的には先に攻め込まれているようで、実際には先に相手を制している」という意味だろう。ところが、言うが易し行うは難し。白鵬にとって、「相手に先に攻めさせて実は自分が先に相手を制する」という境地は簡単ではなかった。力の差がある相手なら出来ただろう。しかし、例えば稀勢の里のような力士を相手にそれをするのは容易ではなかった。負ける不安、吹き飛ばされる恐怖も常にある。相撲はそれほど激しい格闘技だといちばん知っているのも白鵬だった。

 しかも、難しい以上の失望が白鵬を混乱させたのではないだろうか。

「後の先」の体得を目ざしていた白鵬は、日本の伝統文化に真っ直ぐ向き合い、相撲道の探求に燃えていた。ところが、双葉山亡き後、その手がかりを指南してくれる存在さえ相撲協会にはいなかった。それどころか、「後の先」という憧憬にも近い境地を白鵬と共有し、会話できる者さえほとんど存在しなかった。その失望は白鵬の心や生き様に大きな影響と喪失感を与えたのではないだろうか。わずかに、すでに協会からは退いていた大鵬さんが唯一の理解者だった。その大鵬さんも他界され、いよいよ白鵬は孤高の存在となった。

「後の先」を断念

 サンスポ2016年6月29日版に興味深い記事が載っている。記録的にはターニングポイントとなった時期だ。名古屋場所を前に河村たかし名古屋市長を表敬訪問した時の記事。いきなり白鵬が河村市長を投げ飛ばす写真とともに、次の記述がある。

《同場所で史上3人目の通算1000勝がかかる横綱は、目指していた大横綱双葉山が完成させた立ち合い「後の先」への取り組みを断念したことを明かした。

「ひとつ間違えると、(土俵外に)もっていかれる。もうやめました」

 白鵬は、敬愛する双葉山が歴代最多の69連勝を達成した際にもみせた究極の立ち合いに興味を示し、1月の初場所14日目の稀勢の里戦でも披露。だが、無残に押し出され、リスクの高さも実感していた。

 市長から「やはり難しい?」と問われ、「難しいですね。これからは『先の先(せんのせん)』でいこうかな」。》

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