日本の「刃物文化」は世界に広がりつつある――遠藤浩彰(貝印グループ代表取締役社長兼COO)【佐藤優の頂上対決】

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米国で人気のポケットナイフ

佐藤 貝印の商品点数は1万点を超えるそうですね。売り上げから見ると、主要商品はどんな割合になるのですか。

遠藤 古くから貝印をご存知の方は「貝印といえばカミソリ」ですが、カミソリや爪切りを含むビューティーケア関係の商品は全体の35%ほどです。それから包丁などの家庭用品が約32%。そして医療関係が9%くらいです。

佐藤 医療関係はメスですか。

遠藤 はい、外科用のメスですが、私どもが得意としているのは眼科用メスですね。それから皮膚科用の「生検トレパン」を作っています。検査のために皮膚の一部を円形に切り抜く器具で、ニッチな分野ですが、世界的に大きなシェアをいただいています。

佐藤 医療分野に進出されたのはいつからですか。

遠藤 1984年です。

佐藤 では、もうかなりの歴史がありますね。

遠藤 それから、日本からは離れますが、ポケットナイフを作っています。ほとんどがアメリカ向けで、アウトドア用だったり軍隊や警察へ納入したりしています。これが全体の13%ほどを占めます。

佐藤 アメリカでもイギリスでも、ポケットナイフをコレクションしている人は結構いますからね。

遠藤 日本の場合、銃刀法があったり、何か事件があると否定的にクローズアップされたりしますが、アメリカでは非常に身近なところにポケットナイフがあるんですね。アウトドア文化の中で、親から子へとその使い方を教えていく伝統がある。

佐藤 アメリカには古くから進出しているのですか。

遠藤 70年代からです。77年にピート・カーショーという方が作った会社を買収して、本格的に進出しました。アメリカの「カーショー」ブランドのナイフは、私どもが関で作って輸出していたものでした。その会社が行き詰まった時、私の父が経営をこちらでハンドリングすることにし、傘下に収めました。

佐藤 もともと関の刃物だった。

遠藤 はい。ただその後、日本から人を送り出し、現地生産で再スタートを切ることにしました。やはり市場自体がアメリカにありますので、オレゴン州に工場を作り、メイド・イン・USAのポケットナイフで攻勢をかけたのです。

佐藤 それがアメリカ社会に根づいたわけですね。

遠藤 おかげさまでいまは「カーショー」と、その上級種の「ゼロトレランス」という二つのブランドが、アメリカのナイフ事業全般を牽引するところまで成長しています。

佐藤 けっこう高いものですか。

遠藤 日本円で1丁3万円とか5万円というものが売れていきます。コレクションという面もあるかもしれませんが、刃物に対する情熱が、日本とは比べ物にならないですね。

佐藤 ポケットナイフはまだまだ市場が広がりそうですね。中南米などにも需要はあると思います。

遠藤 いまポケットナイフ事業の95%がアメリカ市場で、残りはロシアやドイツ、オランダなどです。中南米は、まだこれからですね。

佐藤 ロシアもコーカサス地方の人は、多くがポケットにナイフを入れています。

遠藤 そうですか。ポケットナイフは、アメリカ以外はもちろん、アメリカ国内でも、まだまだ伸びていく可能性があると見ています。

佐藤 資料にはグループ従業員の3分の2が外国籍とありました。どんな国々に進出されているのですか。

遠藤 いま販売拠点は、アメリカ、フランス、中国、韓国など10カ所、製造拠点がアメリカ、中国、ベトナム、インドと4カ所にあります。

佐藤 そこには、日本から人を送り込んでいるのですか。

遠藤 基本的に現地のトップには、日本人の駐在員を送り出しています。そして規模や重要性、経営の難易度に応じて補助的な役割を担う人を1年ほどつけます。経営は、基本的に現地任せです。

佐藤 海外では日本刀に対する憧れも非常に強いですよね。

遠藤 そうですね。海外のお客様を関の刀鍛冶のところにご案内すると、「この日本刀はどうやったら持って帰れるんだ」とよく聞かれます。

佐藤 日本文化を海外へ持っていくという側面もある。

遠藤 日本の包丁は世界に広がっていて、私たちの馴染み深い「三徳包丁」の形状は、海外でも「サントク」と呼ばれています。私どもでも、爪切りのなかったインドでは「カイツメキリ」という名前で挑戦していますし、さらに「カイホウチョウ」「カイカミソリ」という名前も浸透させていきたいと考えています。

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