自民党総裁選10番勝負 最も激しい戦いだったのは田中VS福田VS大平VS三木

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【6番勝負】 宮沢喜一×渡辺美智雄×三塚博(1991年10月)

 中曽根康弘首相は、自民党総裁としての三期目の任期を一年間延長してつとめたのち退陣することになったが、後継指名をまかされ、竹下登蔵相を指名した。そののち、宇野宗佑、海部俊樹両首相も党内の話し合いで決まった。

 海部俊樹首相が解散して政局を打開することができずに退陣したあと、宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の三人が手を上げた。小沢一郎が面接して宮沢喜一を支持することにした1991年10月の総裁選では、宮沢285票、渡辺120票、三塚87票で決選投票に持ち込まずに決着がついた。

 こうして誕生した宮沢内閣は、党内抗争から不信任案を可決され衆議院を解散したものの、敗れて細川護熙が首相となった。宮沢は総裁も退陣し、河野洋平が総裁となったが、総裁選には立候補せず、橋本龍太郎が当選した。

【7番勝負】 小渕恵三×梶山静六×小泉純一郎(1998年7月)

 橋本内閣退陣後の、1998年7月の総裁選挙には、小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎が立候補した。もともと、竹下派は小渕でまとまっていたのだが、梶山が派閥を飛び出して立候補した。小渕225票に対して梶山も102票と善戦し、小泉も84票を獲得した。

 このとき、田中真紀子が三候補を「凡人(小渕)・軍人(梶山)・変人(小泉)」と評し、それが言い得て妙だと大評判になって、選挙戦をおおいに盛り上げた。

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