韓国に民主主義が根付かないのはなぜか 儒教説、傲慢説、米国離れ説も

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報復が報復を呼び、民主主義を壊す

――それにしても強引な……。

鈴置:左派も死に物狂いなのです。国をいかに危うくしようとも、権力を手放すわけにはいかない。保守に政権を取られれば、過酷な報復が待っているからです。

 文在寅政権は李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)という保守の2人の大統領経験者を監獄に放り込みました。保守政権下で最高裁長官や軍の司令官、情報機関のトップを務めた人らも怪しげな罪で告訴し、裁判にかけています。

 文在寅大統領にすれば盟友、盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏を殺された復讐です。盧武鉉氏は大統領を退任するやいなや検察の取り調べを受け、自殺に追い込まれたからです。しかし、左派に復讐された保守も恨み骨髄。政権を取り返せば、報復しない方がおかしいのです。

――報復が報復を呼ぶ……。

鈴置:ええ、そしてその過程で民主主義が壊れ始めたのです。言論仲裁法改定だけではありません。2020年、秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官は3回にわたって指揮権を発動しました。政府・与党の様々のスキャンダルを捜査しないよう、検事総長に命じたのです。

 指揮権発動は民主化以降、一度だけあったとされています。それが突然、1年間に3回も発動されたのです(「ヒトラーの後を追う文在寅 流行の『選挙を経た独裁』の典型に」参照)。

 2021年の高位公職者犯罪捜査処(公捜処)の設立も、報復合戦の中で民主主義の仕組みが壊れた典型です。公捜処設立の建前は「公務員の不正・腐敗を摘発する」ですが、韓国人の多くは「左派の検察」と見なしています。 

 軍事独裁時代、政権を握る保守は検察を使って反対派を起訴しまくった。民主化後も検察には保守色が残りました。左派は大統領を退任した盧武鉉氏への捜査も、保守の陰謀と見なしたのです。

大統領候補を捜査する公捜処

 2017年に左派が政権を握ると、直ちに公捜処の設立に動きました。その権限は巨大です(「『公捜処』という秘密兵器で身を守る文在寅 法治破壊の韓国は李朝以来の党争に」参照)。

 大統領や首相を含む上級の国家公務員、国会議員、将官級以上の軍人、地方自治体の首長と、それらの家族への捜査権を持ちます。長官、裁判官、検事、警察の上級職委員と家族に対しては、捜査権に加え起訴権も持ちます。

 こうした人々を捜査しようとする他の司法機関は、まず公捜処に申告せねばなりません。公捜処が必要と判断すれば、その捜査を引き継げます。公捜処がもみ消したい事件は、自ら手掛けて無罪にすればいいのです。

 左派は「保守の牙城」たる検察を含め、すべての司法機関による捜査を防御する盾を得たのです。もちろん、保守派への攻撃兵器としても活用できます。実際、公捜処は「国民の力」の有力な大統領候補、尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏の捜査に乗り出しています。

 先ほど、2020年に指揮権が3回にわたり発動されたと申し上げましたが、命じられたのが当時、検事総長だった尹錫悦氏です。左派と見られていたため、文在寅政権に検事総長に抜擢された人です。

 当初は保守の犯罪捜査を主導しましたが、次第に左派政権の犯罪も追及し始めたため、法務部長官は尹錫悦総長に相談せず、政治が絡む事件を担当する検事を一斉に左遷しました(「独裁へ突き進む文在寅 青瓦台の不正を捜査中の検事を“大虐殺”」参照)。

 それでも尹錫悦総長はひるまず捜査を続けさせたため、文在寅政権は指揮権を発動するに至ったのです。さらには尹錫悦総長を停職2カ月の懲戒処分としました(「ついにヒトラーと言われ始めた文在寅 内部対立激化で『文禄・慶長』が再現」参照)。

 裁判所はこの懲戒処分の執行停止を決めましたが、結局、尹錫悦総長は辞任しました。ただ、この左派政権と戦う姿勢が評価され、「国民の力」の大統領候補の1人に担ぎ出されました。そして、ほぼ同時に公捜処が職権乱用の疑いで捜査を始めたわけです。

料金を受け取らない運転手

――まさに泥仕合。まともな民主主義国とは言えませんね。

鈴置:ここ数年で、韓国の民主主義は音をたてて崩れ落ちました。あれだけ苦労して独裁体制から脱したのに、実にあっけないものでした。

 韓国の民主化は、多くの人々の犠牲の上に成り立っています。1987年の民主化闘争だけでも、警察の拷問でソウル大学の学生が殺され、催涙弾の水平射撃で延世大学の学生が死にました。

 当時、デモの現場に行くためタクシーに乗ると、料金を受け取ろうとしない運転手さんがいました。「韓国の新聞はデモを書けない。代わりに我々の思いを世界に伝えて欲しい」と言うのです。

 民主化が宣言された1987年6月29日、民主化を求めていた人々はもちろん、左派の台頭を懸念する人々でさえ、喜びを隠しませんでした。「自由にものが語れる」安心感は何ものにも代えがたかったのです。

 それまで、喫茶店で雑談を交わす際も話題が少しでも政治に及ぶと、後ろを振り返りながら小声で語るのが普通でした。情報機関員があちこちで耳を澄ませていたからです。

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