「笑ってはいけない」中止で振り返る“テレビ規制の歴史” キムタク「ギフト」が再放送されない理由
いじめ、裸体…テレビ規制の歴史
これにとどまらない。フジテレビは2000年、「めちゃ×2イケてるッ!」(1996年~2018年)のコーナー「七人のしりとり侍」を自主的に打ち切ったが、その背景にもBPOの前身組織による見解があった。
このコーナーは大勢が一人を袋だたきにすることで笑いを得ていた。すると、BPOの前身組織「放送と青少年に関する委員会」が、「いじめを肯定するメッセージを伝える恐れがある」と表明した。いじめとバラエティーの問題は20年以上も話し合われてきたテーマなのだ。
テレビは規制の歴史でもある。それは監督官庁の総務省やBPOが関係して行われてきたもので、そのたびに、視聴者からは反発や落胆の声が上がる。だが、実際には社会通念の変化により、規制は避けられなかったケースが多い。
例えば女性の裸体が消えた件だ。日本テレビが平日の午後11時台に放送していた「11PM」(1965年~1990年)は男性向け雑誌のような構成で、政治やギャンブルの情報を伝える一方、グラビアに登場するような女性が裸体で登場した。
裏番組のNET(現テレビ朝日)「23時ショー」(第1期1971年~1973年、第2期1977年~1979年)はもっと過激で、番組内でストリップをやったり、女性のバストのコンテストをやったり。女性の裸体を売り物にしていた。あまりに卑猥だったことから、当時はNET系列だった毎日放送(大阪)が怒って番組の放送を取りやめるほどだった。
その後、テレビのお色気はさらに過激になっていく。日本テレビ「TV海賊チャンネル」(1984年~1986年)の「ティッシュタイム」コーナーは男性視聴者の性処理のために設けられていた。
対抗番組のテレビ朝日「ミッドナイトin六本木」(1984年~1985年)の「性感マッサージ」のコーナーは文字どおり女性に性感マッサージを施し、その時の女性の表情や声を見せ場にした。
ここまで行ってしまうと、これを好まない視聴者からの猛批判は避けられない。1985年、国会予算委員会でも取り上げられ、「テレビは裸が多い」などと糾弾された。当時の故・中曽根康弘首相も同調し、「郵政省(現総務省)には監督権限がある。自粛してもらう」と答弁。郵政相から各局に自粛を求める文書が送られるという異例の事態となった。
当時の批判の声は主に「猥褻である」というものだったが、女性を商品化していた点も問題にほかならない。社会通念が変化した今なら、BPOが動かなくても100%放送できない。
1993年にはセクシー女優の股間を、水車に付けたハケで刺激するコーナーを売り物にしたフジテレビの深夜番組「殿様のフェロモン」がスタート。だが、たちまち物議を醸し、半年後の1994年に終了した。局内からも批判の声が上がったのが特徴だった。もはや社会通念が許さなかったのである。
2015年に改正された日本民間放送連盟 放送基準(民放連放送基準)には「卑わいな表現は避ける」「芸術作品でも過度に官能的刺激を与えないように注意する」などとある。もう二度と裸体がテレビに登場することはないはずだ。
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