結婚20年の妻が突然の駆け落ち不倫… 苦悩の夫が語る「まさかの相手」と「疎外感」
33歳の決断
「2年後に次女が生まれたんですが、ちょうどそのころ、都内で飲食店を営んでいた父が体調を崩して店を閉めざるを得ないと母から連絡がありました」
それを聞いた遙香さんが、「ちょっと待った」と言い出した。
「せっかくお父さんが始めて常連さんもいる店を閉めてしまっていいのかと遙香が僕に詰め寄ってきたんです。遙香は自分の親とも僕の親とも、それほど交流をもちたがらないタイプなので、その反応はちょっと意外でした。でも彼女に言わせると、『お父さんは30年以上、店を続けてきたんでしょう? 継続するって大変なことよ。あなた、継げば?』と。そんな軽く言われてもと笑うしかなかったんですが、よく考えてみれば遙香の言うことももっともだなと思ったんです。僕には姉がいるんですが、結婚して遠方にいるし、継ぐとなったら僕しかいない。実は高校、大学時代、ずっと家業を手伝っていたので、できなくはないとも思っていました。ただ、僕は小さいころ父とあまり接点がなかったんですよ。飲食店は遅くまで営業していたし、日曜の父は寝てばかりいたから。大変なのはわかっている。会社員のほうが子どもとの時間もとれるし、と迷いました」
会社を辞めたらもう戻れない。飲食店がうまくいかなかったらどうすればいいのか。老後のことを考えても安定志向に傾いていく。
「もしうまくいかなかったら、そのとき店を閉めてもいいじゃない。私は今まで通り働くから、大赤字にならない限りなんとかなるわよと遙香が言ってくれた。母に『僕が継ぐから、お母さんは今まで通り店に出られる?』と聞いたら出るという。じゃあ、やるか、と」
33歳の決断だった。父は夜遅くまで店を開けていたが、宏一さんは23時までにした。そうすれば朝食だけは家族一緒にとれる。どういう状態であっても家族を第一に考えたかったのだという。
「オヤジの時代は夕方から開店していましたが、僕はランチをやることにしました。周りにはオフィスもあって立地もいいので」
会社員時代の自分のことを考え、がっつり食べたい人向けと軽くすませたい人向けに分け、メニューは4種類の定食だけ。それが当たって、店を継いでから半年、宏一さんは一息つくことができた。
その後、父も体調が回復し、たまに店に顔を出すようになった。前のようには働けないが、ときどき、夜の営業を代わってくれることもあった。ところが、
「僕が40歳になったころ、父が亡くなったんです。前日まで元気だったのに、心筋梗塞を起こして運ばれ、そのまま意識を取り戻しませんでした。3日間休業しましたが、その後は店を開けました。ただ、母ががっくりきてしまって……。アルバイトさんには来てもらったけど、この先どうしようかなと悩みましたね」
そういうとき、必ず遙香さんが鍵を握る。彼女は、宏一さんの母と同居すること、ランチを自分が手伝うこと、夜の営業も早い時間は手伝うと言い出した。
「彼女の安定した給料が僕の安心材料でもあったので、それはどうかなと揺れました。でも彼女は前向きでした。『宏一と一緒に店を盛り上げたい』と。ありがたかった。母も『私が孫の面倒を見る』と言ってくれたので、遙香の言うように話が進んでいきました」
遙香さんは店で生き生きと働き始めた。ランチ時の客の仕切りは見事だったと宏一さんは言う。
「客商売はしたことがないと言っていましたが、彼女は基本的に明るくて親切なんですよ。記憶力がすごくいいから一度来たお客さんの顔も忘れない。ちょっとした会話も覚えていて、『風邪気味だって言ってたけどよくなりました?』なんて声をかけるものだから、遙香ファンが増えて、店は昼も夜も安定してお客さんが来てくれるようになりました」
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