「いつ死んでもいいのかな…」 「熊谷6人殺し」遺族が憤る「加害者天国ニッポン」

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「本当に捜査官ですか?」

 9月3日にさいたま地裁で開かれた口頭弁論では、事件の捜査を指揮していた当時の熊谷署長ら県警幹部3人が証言台に立った。尋問は、1軒目の事件発生前日に、ナカダが熊谷署から逃走した直後の警察の対応に集中した。

 ナカダは15年9月13日、市内の民家敷地内に侵入し、熊谷署に任意同行されていた。ところが聴取の途中、パスポートなどの所持品を置いたまま、屋外喫煙所から逃げた。その後、付近の民家2軒で「外国人が侵入した」との通報があり、熊谷署は捜査員20人態勢で、警察犬を出動させて捜索。しかし、ナカダを発見できず、翌14日に1軒目の夫婦殺害事件が起きた。この時点でナカダが殺人犯とは特定できていなかったが、逃走中で、捜査線に浮かび上がった点と点をつなぎ合わせると、事件が続発する危険性はあったはずだ。

 証言台に立った当時の熊谷署長は、被告側代理人からこの点を尋ねられると、

「予見できなかった。通り魔や屋外の事案はなりふり構わず連続発生するが、本件は連続発生の兆候が見えなかった」

 と説明。その上で、「本人(ナカダ)が熊谷署を立ち去った後、十分やるべき捜査は尽くした」と署の対応を正当化した。1軒目の事件発生後に防災無線で注意喚起すべきだったか否かについては、その方法が選択肢にすら入っていなかった。

「防災無線は使ったこともないし、使用を依頼したこともない。これが現実」

 原告である加藤さんの妻子が殺害された事件への思いとしては、

「被害に遭われて大変ご不幸なことで、心中を察すれば悔やまれることだと思っております」

 とだけ述べ、加藤さんへの謝罪の言葉はなかった。

 一方、原告側代理人の高橋正人弁護士から「1軒目の事件を起こした犯人が、別の屋内で事件を起こす可能性は全く想定していなかったのか。頭の片隅にもなかったか」と迫られると、署長は首を左右に振って、

「なかったねえ」

 と一言。この反応に高橋弁護士は「私には信じられない」と驚きを隠せず、思わずこう尋ねてしまった。

「失礼ですが、あなたは本当に捜査官ですか?」

 原告席側の奥に座っていた加藤さんは尋問の最中、ずっと厳しい表情で、時折、署長ら証人を射るような目で見ていた。

 事件の連続発生などない──。治安維持という責務を放棄したとも受け取れる発言で、その危機意識の低さが、第二、第三の悲劇を招いたのではないか。

 あの日、犯人のナカダは、加藤さん宅の1階トイレで、美和子さんに包丁で襲いかかり、さらに小学校から帰宅した娘二人を2階の寝室で次々と殺害した。美和子さんの遺体を1階リビングのクローゼットに移動させ、娘二人は2階のウォークインクローゼットに重ね、それぞれ遺棄した。

 すでに事件の痕跡はなくなっているが、リビングには、娘二人が描いた絵や一緒に遊んだゲーム機、妻のかばんなどが置かれたまま。一家四人で暮らした当時の様子がはっきりと残る。その生々しい生活空間に、加藤さんは今、一人で住み続けている。

「自宅で生活を始めるようになったのは事件から1年半ぐらい経った頃です。ですが30分もいると思い出すので、実家に戻る。実家にいても狂ってしまいそうになるので、極力、趣味の自転車で外出していました。そうして少しずつ時間を掛け、ここにいなくてはいけないという気持ちに変わりました。でないと三人の帰って来る場所がなくなってしまう。ずっとこの家に居続けます」

 加藤さんが毎晩寝るのは、娘二人が発見されたクローゼットのある部屋だ。

「そこしか寝る場所がないからなんですけど……。睡眠薬は飲み続けています。そのためか寝入りは良いんですが、途中で起きてしまうことがあります」

 特に週末の夜は、家族の思い出がふと浮かぶ。今でもパソコンに保存されている写真は、心に余裕がある時しか見られず、三人の後を追い掛けたいという衝動に駆られたこともある。

「感情が壊れたと思う時があります。自分の今の生活とかいろんなことがどうでもよくなるっていうか。だからいつ死んでもいいのかなっていう感覚ですね。たとえば今、コロナに感染してもし死んだとしても、それでもいいかなって」

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