習近平「第二文革」序曲:改革開放の「勝ち組」バッシングが止まらない

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「魂の革命」と讃えられた文革

 毛沢東が発動した文化大革命(1966~76年)は、後に「大後退の10年」と批判され、毛沢東が失った最高権力の座を奪還するための権力闘争絵巻と冷めた目で捉えられがちだ。だが、1966年の発動当初は人類空前の「魂の革命」と大いに讃えられていた。

「魂の革命」とは過去に見られた社会革命でも政治革命でも、ましてや中国古来の易姓革命でもない。誰もが「偉大なる領袖」に忠誠を誓い、毛沢東が掲げる「為人民服務」を活学活用し、「私」を捨て「公」に尽くすための絶え間なき自己改造である。「破私立公(私ヲ破リ公ヲ立テル)」を実践することによって中国が邪悪な資本主義へ転落することを阻止し、毛沢東式社会主義ユートピアへの道を邁進することができると強く喧伝されたものだ。

「魂の革命」は中国を飛び出し、西側社会の“怒れる若者”の心を揺さぶり、1968年になると日本や欧米の大学では「マオイズム」の嵐が同時多発的に吹き荒れた。若気の至りとは言え、当時は筆者も心密かに「魂の革命」に惹かれたことを思い出す。

想起すべき文革前夜の2つの動き

 文革が発動される数年前から、中国では政治とは直接的な関係が認められそうにない領域で、2つの動きがあった。

 1つが伝統京劇の全面否定と京劇の現代化だ。旧来の京劇を悪しき封建社会の残滓と捉え、新しい時代は「革命現代京劇」と呼ばれる新しい京劇によって表現されるべきだ、という考えに基づいて推進された京劇革命という試みである。

 四旧(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)の象徴である旧い京劇を脱却し、新しい京劇を創造することによって新しい時代を象徴する人間像を描き出し、国民を教化しようというのだ。

 残る1つが模範的人物学習運動である。毛沢東思想を体現し、「公」のために自らを捧げた若き解放軍兵士や農村基層幹部を称えるキャンペーンが全国規模で、華々しく展開された。

 その典型が工兵部隊の運転手だった雷鋒(1940年~62年)、工兵部隊班長の王杰(1942年~65年)、河南省蘭考県党委員会書記の焦裕禄(1922年~64年)であった。

 彼らの自己犠牲の姿を毛沢東が賞賛し、当時の中国で絶対的影響力を誇った官製メデイアの『人民日報』や『解放軍報』が「模範兵士・雷鋒同志に学ぼう」、「一心を革命のため、一切を革命のため――毛主席の優れた兵士の王杰同志に学ぼう」、「親民愛民、敢えて苦難に立ち向かい私心を去り公に殉ずる精神の焦裕禄に学ぼう」などとキャンペーンを強力に展開した。いわば彼らは毛沢東思想の典型として偶像化され、全国民が活学活用すべき対象とされたのである。

 京劇を革命する一方、全国民に雷鋒、王杰、焦裕禄――「破私立公」の理想的人間像を示す。後から考えれば、それが文革への序曲だった。そして革命現代京劇の主人公と雷鋒、王杰、焦裕禄らによって「魂の革命」は可視化され、彼らを手本に全国民が自らを改造する。

 こうして毛沢東による文化大革命が本格始動したわけだ。

習近平政権が求める“理想的な中国人像”

 それを習近平政権にあてはめてみると、『中國京劇』(中華人民共和国文化和旅游部主管/全国中文核心期刊)は2018年2月号で《陳廷敬》を特集して以来、《手鏡》、《貞観盛事》、《大舜》などの新編歴史劇を「習近平総書記が行った一連の重要な精神講話」をアピールする演目として推奨してきた。ここ2、3年の間に創作された新編歴史劇からは、あたかも毛沢東による文革発動前夜の雰囲気が感じられる。

 こう考えながら「慶祝中国共産党100周年専刊」と銘打たれた『中國京劇』(2021年7月号/総第289期)を手にすると、習近平政権が求める“理想的な中国人像”らしきものが浮かび上がってくる。

 まず同誌は冒頭で、2月20日に開催された党史学習教育動員大会における習近平総書記の講話を掲げる。

「我が党の百年は初心の使命を実践・貫徹する百年だった。限りない困難のなかで基礎を築き上げた百年だった。輝かしき未来を切り開く百年だった。この百年の絶えざる奮闘において党は人民を束ね導き偉大な道を切り開き、偉大な功業を成し遂げた。偉大な精神を鍛造し、この上なく貴重な経験を積み上げ、中華民族発展の歴史と人類社会進歩史における刮目すべき奇跡を創造した」

 そして、この講話に倣うかのように、「中国共産党の卓越した貢献と偉大なる成果を称え、中国共産党人が中国人民のために幸福を追求し、中華民族のために復興を図ろうとする初心の使命を広める」ため、「中国共産党の偉大なる歩み」を訴える40本の現代京劇をテーマ、時代考証、演出技法などの多方面から論じている。

 推奨されている京劇は、中国共産党創立者の1人である李大釗の「短くも勇壮な一生を再現」した《李大釗》、第一回共産党全国大会に唯一、少数民族出身者として参加した鄧恩銘の「初心を忘れずに犠牲を恐れぬ革命精神を貫徹」した姿を描く《鄧恩銘》、中国共産党創立に参加した唯一の女性代表で、33歳の若さで犠牲になった向警予を「傑出したプロレタリア階級革命家で中国女性運動の模範的指導者」と称える《向警予》、建国前の共産党指導者で抗日北上先遣隊を率い、作戦中に国民党に逮捕され刑死した方志敏を「諄々と革命の道理を説き、中国共産党の救国救民の主張を宣揚し、国民党反動派の血腥い統治を暴露し、確固たる革命精神を体現した」と賞賛する《清貧之方志敏》などだ。

 なかには武漢におけるハイテク工業団地建設に焦点を当てた《光之谷》、「偉大な歴史的変革過程における反腐敗闘争の勝利」を称える《在路上》などのような演目も含まれているが、同誌が共産党成立100周年を期して推奨する40本の演目を貫くテーマは、やはり共産党に殉じた有名無名の英雄たちによる「破私立公」の姿だ。

人気俳優、アイドルたちを次々に糾弾

 そして、このような「破私立公」を讃える動きと呼応するかのよう、習近平政権は若手タレントを批判の俎上に載せている。 

 脱税容疑で多額の罰金を命じられた人気女優の鄭爽、性的暴行容疑で拘束された元韓国アイドルグループの呉亦凡、女性問題が発覚した人気歌手の霍尊、靖国神社での記念写真でバッシングを浴びた俳優の張哲瀚などへの批判を経て、最近では「小燕子」こと女優の趙薇を名指しで「劣跡芸人(不道徳な芸人)」と糾弾するなど、共産党官製メデイアは従来には見られなかったような厳しい対応を示している。

「劣跡芸人」の「劣跡」ぶりを暴露・糾弾することで、豊かさに狎れてしまった社会に警告を与える。いわば「劣跡芸人」を反面教師に仕立てることで、新しい時代の「破私立公」の姿を指し示そうしているようにも思える。

共同富裕を「前人未踏の全面的改革」と絶賛する極左作家

 さらに、これとあわせて習近平政権が打ち出しているのが「共同富裕」である。

 昨年10月下旬、阿里巴巴(アリババ)集団創業者の馬雲(ジャック・マー)の失踪騒ぎが起こり、今年1月20日にはIT長者たちの集まりである泰山会が解散を表明。その後、習近平政権は阿里巴巴集団をはじめとする巨大IT企業集団に対し、独禁法をテコにした露骨とも思える締め付けを始めた。

 8月17日に開催された中央財経委員会で、「共同富裕は社会主義の本質的要求」であると説くと、ネットビジネス長者たちが貧困対策・格差解消のために巨額資金の提供を申し出た。

 すると8月27日、「誰もが感ずることが出来る。まさに深刻な変革が進行中!」と題する論文が発表され、人民網、新華網、中華軍網に加え『光明日報』などの官製メデイアに転載され全国に拡散した。筆者は「極左作家」とされる李光満だ。

 李光満は芸能界の背後に見え隠れする有力企業家の策動を切り口に、「瑞々しく、健康で、明るく、力強く、強靱で人民を基盤とする文化を建設し(中略)、資本家集団を人民の側に回帰させ、(中略)『共同富裕』という最終目標を実現させよう」と主張する。その一方で、現在の中国が進めている一連の改革を「ソ連崩壊」、「アメリカの脅威」などの国際政治の激動を克服・凌駕した「前人未踏の全面的改革」と位置づける。

 はたして鄧小平以来の「先富論」が生み出してしまった極端な格差社会を「破私立公」によって根本的に改め、「瑞々しく、健康で、明るく、力強く、強靱で人民を基盤とする文化」が招き寄せる「共同富裕」を目指そうとでもいうのか。

 ちなみに2月20日の「党史学習教育動員大会」では、習近平総書記による党史解釈権掌握への動きが見られ、同日に行われた「華国鋒生誕百周年記念座談会」においては、習近平最側近の王滬寧党中央政治局常務委員が華国鋒再評価を行い、従来ではタブーと思えるような鄧小平批判を滲ませた。

 ところで「前人未踏の全面的改革」の語感からは、やはり毛沢東が文革で掲げた人類空前の「魂の革命」を思い出さずにはいられない。同時に後に四人組の1人に収まった姚文元が1965年11月に『文匯報』紙上に発表した「新編歴史劇《海瑞罷官》を評す」が文革の口火を切ったことを思い起こすなら、李光満が「第二の姚文元」の役回りを演じていると見立てられないこともないだろう。

中国現代社会が「破私立公」へと転換するのか

 このように昨秋からの一連の動きを振り返ってみると、3期目必至とされる習近平政権が「共同富裕」を打ち出した次のような狙いが思い浮かんでくる。

 長期政権の正統性の根拠に「社会主義の本質的要求」の実現を置き、「共同富裕」によって国論を統一し、ジョー・バイデン米政権を軸に展開される中国包囲網という“逆風”に立ち向かう。そのための大前提として、新しい時代の「破私立公」を国民に求める――。

 だとするなら「第二文革」と言うよりは、アメリカ帝国主義とソ連社会帝国主義の挟撃に対抗すべく国論統一を目指した側面を持つ文革の二番煎じと言うべきかもしれない。

 だが、鄧小平が踏み切った開放路線による“勝ち組”の象徴である金満ハイテク長者と「劣跡芸人」が大きな影響力を持つようになった現代社会が、《李大釗》などの舞台に感応し、「破私立公」へと転換するだろうか。

 かりに習近平政権が可能と考えているなら、そのような文革的思考から抜け出せない政権が国際社会の動向に大きな影響力を持っていることに、改めて注意を喚起しておきたいものだ。

 今年は毛沢東没後45年に当たる。命日である9月9日前後、習近平政権による毛沢東関連の追悼式典が開かれたという報道は聞かれない。毛沢東が消えてしまったとまで言わないが、もはや毛沢東は習近平国家主席を筆頭とする「完全毛沢東世代」にとって、厳格なる統治が行われていた時代を懐かしむ「記号」へと変質してしまったようにも思えてしまう。不思議と言えば不思議だ。はたして中南海で、何か新しい異変でも起きているのだろうか。

樋泉克夫
愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。

Foresight 2021年9月15日掲載

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