失明寸前の重傷から見事に復活…胴上げ投手の栄誉を与えられた“不屈の男”たち

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“メーク・ドラマ”を完結

 そして、マジック1で迎えた10月6日の2位・中日との決戦、5対2とリードした8回2死一、二塁のピンチに、長嶋茂雄監督が「ピッチャー・川口」を告げる。

「お前に任せる。最後までいくぞ」の言葉に感激した川口は、代打・音重鎮を空振り三振に切って取ると、9回も3者凡退で締めくくり、“メーク・ドラマ”を完結させた。

 最後の打者・立浪和義を外角低め、144キロ直球で見逃し三振に仕留めた瞬間。川口はマウンドで咆哮すると、両手を天に向かって突き上げ、何度も飛び上がった。「優勝は(広島時代と併せて)4回目だけど、今日が一番うれしい。巨人に入って、本当に良かった」

 16年目で初めて胴上げ投手になった37歳の左腕はそう言って、人目もはばからず号泣した。

 最後は2年がかりで胴上げ投手の夢を達成した異色の中継ぎ左腕を紹介する。西武時代の橋本武広だ。

 ダイエー時代の93年オフ、秋山幸二、佐々木誠ら3対3の大型トレードで西武に移籍した橋本は、当時これといった実績がなく、トレード通告の際に「クビかな?」と勘違いしたほどだった。

 だが、移籍後に「お前の仕事は左打者を抑えることだ」とワンポイントに指名され、結果を出していくうちに自信をつけ、「左を抑えられたら右も抑えられるようになり、ピッチングの幅も広がった」という。

「ホッとしたよ」

 移籍4年目の97年は、貴重な中継ぎとしてリーグ最多の68試合に登板し、脇役ながらチームの3年ぶりVに貢献。そのご褒美に東尾修監督は「胴上げ投手にしてやる」と約束した。

 同年は鈴木健のサヨナラ本塁打で優勝が決まったため、実現しなかった。しかし、橋本は翌年も獅子奮迅の活躍を見せる。10月2、3日の日本ハムとのダブルヘッダーを含む3連戦で3連投するなど、2年連続リーグ最多の66試合に登板。チームのV2に王手がかかった10月7日の近鉄戦で、ついに2年がかりの夢が叶い、5対2とリードした最終回のマウンドに上がった。

 これまでにない緊張感のなか、橋本は2死まで漕ぎつけたが、「あと一人」で水口栄二に中越え二塁打を打たれてしまう。

「水口が二塁ベース上からこっちを見てニッコリするから、“空気が読めないヤツめ”とカリカリした」そうだが、最後の打者を右飛に打ち取り、優勝が決定した。

 マウンドで両手を突き上げたあと、捕手・伊東勤の胸に飛び込んだ橋本は、「ホッとしたよ。安堵感というのかな」と大役の責任を無事はたせたことを喜んだ。球史に残る大型トレードで、ビッグネームの陰に隠れていた“6番目の男”が野球人生で最高に輝いた日だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年9月14日掲載

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