深澤弘さんを悼む 長嶋茂雄の大洋監督話、落合博満の巨人移籍…今ではありえない舞台裏の活躍

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「落合を獲れないか」

 監督解任から12年もの「浪人」を経て長嶋が巨人監督に復帰した翌日、深澤に会うなり、長嶋は言った。

「落合を獲れないか」

 ちょうどFA制の導入が検討されていたのも踏まえ、深澤は答えた。

「今年は無理です。来年なら可能性はあるでしょう」

 それから一年、ひそかに長嶋の思いを伝える役目を深澤は担った。遠征で関東に来るタイミングで深澤は落合と接触したという。長嶋が直接それをするわけにいかない。現在のルールなら、たとえ第三者でも監督の意を受けて動いたら規則に抵触するかもしれない。そのぎりぎりのところで深澤は動いていたのだろう。

「二つの顔を持つ男」「天下の長嶋の信頼を得た陰の参謀」、自分がなれるものならなってみたい役割を担う深澤は、私のような物書きにとっても羨望の対象だった。そして、最も私がため息交じりに「羨ましい」と感じたのは、深澤が長嶋の「個人的な練習パートナーだった」という、信じられないけれど本当の逸話だ。

深夜にまで及んだ長嶋の素振り

 深澤は元プロ野球選手でもなければ、野球経験者でもない。しかし、現役後半、長嶋が最も頼りにした個人コーチは深澤だったのだ。実は、王貞治だけでなく長嶋も指導を仰いでいた荒川博コーチが70年暮れに退団して、師を失ったこともきっかけだったかもしれない。深澤が言った。

「試合が終わって実況席から降りて行くと、長嶋さんが『今日も頼む』という目で合図をくれるんです。私は取材を終えるとすぐ、田園調布の自宅に帰る長嶋さんを追いかけて行きました。長嶋さんは、キリンレモンとメロンを頬張り、パンツ一丁で庭に出て、私に投手の真似をさせる。平松、外木場、安仁屋……。遠くに渋谷の灯りが見える高台で、長嶋さんがグッと私を睨みつける。グリップの位置が長嶋さんの一番の悩みどころでした」

 ピタッと決まれば、素振りは15分で終わった。長い時は深夜に及んだという。ナイターを終えた試合後のことである。深澤も、実況中継を喋り終えての「延長戦」だった。

 深澤は、そんな話をごく当たり前の調子で聞かせてくれたが、聞きながら頭に浮かぶのは、まるで夢のような光景だった。もし自分が、そのような役目を果たせたならば、どんなにか幸せだろう。

 もしかして自分もスポーツライターだけれど、深澤さんのように「実は知られざるもうひとつの重責を担っている」という生き方が出来たら素敵だな、という無邪気な憧れを抱かせてくれる大先輩でもあった。

 東京五輪開会式、長嶋、王、松井の聖火リレーを深澤アナウンサーは見ることができたのだろうか。もしご覧になっていたなら、その心に、そして脳裏に浮かんだ風景は、懐かしいどんな場面だったのだろうか。

 野球界に有形無形の貢献をされた深澤弘アナウンサーに感謝を申し上げるとともに、ご冥福を心からお祈りします。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年9月11日掲載

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