パナソニックが挑む、「中国」巨大介護市場
中国の人口政策が大転換期を迎えている。1979年から始まった「計画生育」は、当時危惧されていた人口の爆発的な増加を抑えることには成功した。しかし、長期にわたる人口抑制策が招いた人口構造のゆがみは、中国経済に暗い影を落とし始めている。
2016年1月1日、中国で30年以上続いた「一人っ子政策」に終止符が打たれ、「二人っ子政策(二胎政策)」が全面的に実施された。しかし中国国家統計局によると、出生数は初年度の2016年でこそ前年比で131万増と大幅に増加し1786万人に達したものの、その後は右肩下がりを続け、2020年には1200万人まで減少している。
出生数激減の背景にあるのが、出産コストの高さである。中国では都市部を中心に、子育てに関わる費用が高騰を続けており、出産に慎重な家庭が増えている。
出産をためらわせる「不動産」と「教育」費用
出産コストが高まっている主な要因が「不動産」と「教育」だ。
中国では一般的に、結婚前に男性側の方で住宅を準備する慣習がある。10年ほど前に、「家や車、指輪、お金など何もない状況で、披露宴も挙げず登録するだけの簡素な結婚」を指す「裸婚」という言葉が流行したが、最近はめっきり聞かなくなった。「裸婚」に関する公式統計はないが、私が勤務する大学の卒業生などに話を聞くと、結婚前の住宅購入は、少なくとも大卒者の間では共通認識となっているようだ。北京などの都市部では不動産価格が高止まりしており、結婚前の若者たちからは「プレッシャーはかなり大きい」という声しか聞かれない。
何とか住宅を購入して結婚した後も、子供の成長に合わせて引っ越しを余儀なくされるケースも少なくない。名門小中学校の学区内に住所を移し、子供により質の高い教育を受けさせるためだ。
このような住居は「学区房」と呼ばれ、一般のマンションより値段は高い。北京の学区内のローカル団地の壁に、子供の小学校入学に伴う「学区房」購入希望の張り紙があったが、築20年以上の中古マンションに市場外取引でも830万元(約1億4000万円)の値が付いていた。不動産業者を仲介すれば価格はさらに高くなる。
それでも子供の時から少しでも質の高い教育を受けさせ、将来少しでもレベルの高い重点大学に合格をさせようと、大金を惜しまずこの「学区房」を購入する家庭も少なくない。
直接的な教育出費も高まっている。「不能輸在起跑線(スタート地点で負けられない)」という合言葉の下、大多数の家庭が、子供を幼少時から学習塾や習い事教室などに通わせている。例えば、北京人のある友人は、小学校3年生の息子に「国語、数学、英語以外に、テコンドーやヒップホップなどのスポーツも習わせていて、ひと月で1万元(約17万円)ほど使う」という。この他にも数人に聞いてみたが、すべての家庭において子供を何らかの学外スクールに通わせており、小学生だと少なくとも数千元程度は教育費に使っているようだ。
中国政府も手をこまねいているわけではない。今年正式に発表された『第14次五カ年計画および2035年長期目標綱要』では「出産、養育、教育の家庭負担を軽減する」としており、最近関連政策が矢継ぎ早に打ち出されている。5月には、産児制限をさらに緩和して第3子の出産を認める方針が明らかとなり、出産奨励策を出す地方政府も現れ始めた。例えば、北京市は育児休暇を拡充すると発表しており、四川省攀枝花市も2人目と3人目の子供が3歳になるまで手当を支給する支援策を明らかにしている。
7月には、校外教育に規制のメスが入った。学科に関する研修機関を非営利組織とし新規上場を禁止するなど、教育による「金もうけ」を禁止する内容が盛り込まれた。家庭における経済的負担を軽減し、少子化に歯止めをかけたい考えだ。ここからも中国政府の本気度が見て取れるが、将来的には、教育・学区改革などを通じた「学区房」対策もありえよう。
産児制限の緩和や教育費負担の軽減を受けて、出生数は改善するかもしれない。しかし、その効果は未知数だ。たとえ出生数が増加傾向に転じたとしても、「計画生育」が招いた人口構造の歪みを解消するには長い歳月を要するだろう。
そのような中、もう一つの大きな問題「高齢化」が中国社会に着々と迫っている。
急激に加速する高齢化
中国では10年に1度人口センサスが実施される。2020年11月1日時点における調査結果が今年5月に発表され、この10年間における人口動態の変化が明らかとなった。
中国の総人口は10年間で7206万人増え、14億1178万人となり、年平均の増加率は0.53%だった。今後については、人口増加トレンドは減退し、最新の予測では2025年から2030年の間にピークに達するとみられる(北京大学人口研究所・陳功所長)。
年齢構成比をみると、60歳以上の人口は2億6402万人となり、総人口に占める割合は18.7%に達した。2010年の人口センサス結果と比較すると、0~14歳人口が14.5%増加したのに対し、60歳以上人口は48.6%も増えた。ここからも、出生数が伸び悩む中で、非常に速いスピードで高齢化が進んでいることが分かる。
今後についても、高齢化は加速していくとみられている。2020年の詳細データは発表されていないので、19年の年齢別人口構成比をみてみると、50~59歳年齢が全体の15.3%を占める。「一人っ子政策」が始まる前の60年代に生まれたこのベビーブーマー世代が退職期を迎えるのだ。2030年における高齢人口の割合は25%前後になるとの推計もある。
中国の人口ピラミッド(2019年)
パナソニックが開業する「養老都市」
高齢化社会で成長が期待されるのが「養老」、すなわち介護ビジネスだ。中国政府も急速に迫りくる高齢化に対し危機感をつのらせており、『第14次五カ年計画および2035年長期目標綱要』においても、介護産業の発展を推進していく方針が示されている。
しかし、過去に、詐欺事件や老人虐待、環境不衛生問題などが話題になったこともあり、中国人の老人ホームや介護施設に対するイメージは決して良くない。介護問題に直面している友人たちに話を聞いても、「公立の施設は汚くてサービスが悪い。親世代の多くが行きたがらない」との声が多い。また、「子供が親の面倒を看るのが当たり前」という観念が依然として根強く、メンツを重んじる中国では、「親戚や周りの目も気になる」という声も聞く。どうしても自宅で親の面倒が看られない場合は家政婦を雇うのが一般的だが、サービスの質や相性などの問題もあり、何度も担当者を変更するケースもある。
このような中国における介護ビジネスで必要なのが発想の転換だ。つまり、親からは「住みたい」と思われ、周囲からは「親孝行だ」と思わせる施設があればいい。
この巨大市場に挑む日本企業がある。パナソニックだ。今年7月、中国江蘇省宜興市に、観光事業などを手掛ける雅達国際ホールディングスと共同で、「雅達・松下社区」と呼ばれる「養老都市」を開業した。
合計1170戸を計画する高齢者向け住宅に、パナソニックの独自技術を採用した最新設備が導入される。テーマは「健康」。例えば、座ったままで尿や血圧などの健康状態を測定できる高級トイレや、寝室の明るさを自動で調整してくれる照明システムなどが採用されている。快適な暮らしの中で、自然と体調管理ができ病気のリスクを減らす。高額だが人気は高く、先行して販売した一部の物件はすでに完売している。
パナソニックの事例は高齢者向け住宅だが、老人ホームやデイサービス、訪問介護など、世界に先駆けて高齢化が進んでいる日本の介護産業には、多くの技術やサービス運営のノウハウが蓄積されている。これは当然、中国でも活かせるはずだ。
日本に対する好感度の高さも追い風となる。ジェトロが2018年に中国で実施した国別のイメージ調査では、「安全・安心」、「サービスが良い」、「礼儀正しい」の項目で日本が1位となっている。いずれも介護ビジネスを展開する上で求められるブランドイメージだろう。
急速に高齢化が進む中国。歴史と実績を兼ね備える質の高い日本の介護技術やサービスに対する期待は極めて高い。