公開から34年『ゆきゆきて、神軍』が今も人気の理由 原一男監督が語る「奥崎謙三」という男

国内 社会

  • ブックマーク

ジャングルからの電話

――この映画の製作が開始されたのが1982年、戦後47年にあたる年でした。それでも奥崎は、ニューギニアでの真相が明らかにならない限り、太平洋戦争はまだ続いていると信じていた。

原監督:面白い話があってね。ある日、奥崎さんの長電話につかまった小林が、「奥崎さん、大変申し訳ないけれど用事があって……」と電話を切ろうとしたことがある。そうしたら奥崎さんに、「今、私の話していることが、いちばん大切なことだーーッ!」って、怒鳴り散らされた(笑)。それで、電話の後に小林がすごいと思ったのは、「奥崎さんはニューギニアのジャングルから電話をかけてきている感覚なんじゃないか」と言ったこと。

――奥崎の意識の中では、今も戦中なのですね。作中での姿も戦時中のように見えてきます。

原監督:それはドキュメンタリーの強みだよね。

――作中で監督は、奥崎謙三の顔を“顎の骨が極度に張って、私が今までに会った誰よりも窪眼(くぼめ)”と形容しています。戦争が顔に貼り付いているといいますか、戦争経験者の顔っていうのがはっきりあるのだと感じます。

原監督:そう、野呂圭介(『元祖どっきりカメラ』で知られる俳優)に似ている(笑)。戦争が目の前にある、という表情だね。「神軍を見た時、本当の戦争映画を見たと思った」と野上照代さん(黒澤明の映画ほかで知られる名記録係)が言っていました。

復員兵から見た神軍

原監督:封切り時の1987年当時は、多くの戦争体験者がまだ生きていた。その人たちの中では、奥崎さんに対する評価は半々だったんだ。奥崎さんの言ってることが正しい、「奥崎、よく言ってくれた、やってくれた!」っていう声と、「奥崎のやってることは間違ってる。言ってることはいいんだけれども、あんなふうに暴力でやっちゃいけない!」という声。メディアでも同じような議論がありしました。

 この映画は劇映画のように、話している二人の人物を切り返し、カット・バックで撮りたいと最初から思っていました。奥崎さんと、奥崎さんがぶつかっていく“敵”、その葛藤をカット・バックで描く。それが映画の基本的な文法だからね。

 奥崎さんに相対する敵は、同じように奇跡的に生きて戦争から帰ってきたんだけれども、復員後は自分と家族の生活を守るためだけに生きてきた。彼らのほとんどが農家の次男坊で、だから妻の家に養子に入っていったわけです。

 撮影をしていて恐ろしいなと思ったのは、彼ら戦友たちの間には連絡網が張り巡らされていて、奥崎さんが誰誰の家で暴力を振るったって情報が、速やかに伝達される。まるで軍隊という規律正しい組織のように、です。

 だから軍隊的なるものはいまだ健在であるということも、奥崎さんは暴こうともしたんだ。人肉食を告発することだけが目的じゃない。

次ページ:奥崎謙三も炎上する?

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。