日本発の「グローカル」総合種苗会社を目指して――坂田 宏(サカタのタネ代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
欧州に拠点を作る
佐藤 坂田さんは、そのオランダに長らく赴任されていましたね。
坂田 88年から6年間滞在しました。ヨーロッパの拠点を作るためでしたが、振り返ってみると、人生の中で非常に有意義な体験だったと思います。当時、親交のあった業界の方々とは、いまでもお付き合いがあります。
佐藤 その時、オランダには何か出張所があったのですか。
坂田 いえ、まったくゼロからのスタートでした。取引自体は戦前から、オランダを含めヨーロッパ各国の種屋さんとありましたが、その時は会社の事業拠点を作ることが任務でした。
佐藤 つまりヨーロッパの農業大国に乗り込んでいったわけですね。
坂田 現地法人を作り、農場を開き、倉庫や発送などを行う拠点も作って帰って来ました。
佐藤 オランダは主に何を輸出しているのですか。
坂田 施設園芸のハウスで作るトマト、キュウリ、ピーマンなどですね。それをイギリス、ベルギー、デンマーク、ドイツなどに輸出しますが、それは膨大な量に上ります。
佐藤 その国で日本企業がタネを売るのは大変なことですね。どの国へ、どんな野菜のタネを売りに行ったのですか。
坂田 弊社の主な市場はスペイン、イタリア、フランス、イギリスでした。当時、施設園芸に向くオランダ産のタネは花が多く、野菜はあまりありませんでした。私どもは主として大産地の地中海沿岸を狙って事業展開していきました。一番大きなシェアを得たのは、やはりブロッコリーです。いまスペインでは95%以上が弊社のタネですし、イギリスでもかなりの割合を占めています。
佐藤 ブロッコリーはそれほど普及していなかったのではないですか。
坂田 そうですね。そもそもブロッコリーと呼んでいませんでした。イギリス人は、原産地がイタリアのカラブリア地方だったことから「カリブリース」と言っていました。それが最初は何のことだかわからなかった。
佐藤 サカタのタネのブロッコリーは、遺伝形質が違う2種類の親の交配からできる1代限りのF1種子ですね。そのタネを播いても次代に形質が引き継がれませんから、次もまたタネを買うことになる。
坂田 その通りです。当社のブロッコリーのF1品種の開発はアメリカから始まりました。大きな面積で栽培する際、収穫時期がバラバラだと、何度も農場に入らなければなりません。ですから生育スピードが一定になるよう改良して、1~2回で全て収穫できるようにしたのです。それで一挙に広まった。いまブロッコリーのF1種子は欧米だけでなく、中国でもアメリカと同じくらいの量を販売していますし、今後、ブラジル、インドに広げようと考えています。
佐藤 ロシアはどうですか。
坂田 いまモスクワには事務所があり3~4名従業員がいますが、なかなか難しいですね。私がオランダにいた頃も、ソ連に優良な種屋さんがなかったので、伝手(つて)を辿ってモスクワに何度か行きましたが、やはり大変でした。
佐藤 ロシア人は、会うと一緒にやろうと調子のいいことを言いますが、どこまで本気なのかよくわからない。それと儲からないうちは一緒に熱心にやってくれますが、利益がきちんと上がるようになると、いつの間にかロシア人所有の会社にされたり、変な人たちが介入してきたりする。そのあたりが難しい。
坂田 ロシアはオランダの種苗会社が強いのですが、直接というより、農業の盛んな隣国ポーランドからコントロールしているようですね。
佐藤 なるほど、間接経営というのは重要なポイントなのかもしれない。
坂田 ロシアの南部、中央アジアの国々との国境付近は大肥沃地帯なんです。そこで穫れるのは、ボルシチの材料であるビートやタマネギ、そしてトマトなんですね。それに使うタネの量は莫大なものがあります。私どもはそこを狙っていますが、やっぱりオランダ勢が強い。
佐藤 そもそもオランダとロシアは歴史的にも関係が深いですからね。例えば、オランダやドイツにはメノナイト教徒というキリスト教の一派がいました。彼らは平和主義者で絶対に戦争をしない人たちです。だからそれぞれの国ですごく弾圧された。その彼らを帝政ロシアが入植させているんです。地主はロシア人ですが、農場の管理はメノナイト教徒にやらせた。そうした関係がありましたし、ピョートル大帝がオランダに何カ月も滞在したこともあります。歴史的にはロシアとオランダの関係は400年に及びます。
坂田 なるほど、そこに人脈もあるのですね。
新品種作りの要諦
佐藤 世界各国へタネを販売する一方、新しい品種の開発も進められています。一つの品種を生み出すまでに、10~15年もかかるそうですね。
坂田 毎年、野菜10品種、花40品種くらい新品種を出していますが、私どもの商品の多くは、先ほどお話ししたF1品種です。これはその親づくりから始めます。毎年、掛け合わせを行い、求める形質に絞っていくわけです。タネを採ったら次の年にまいて、また掛け合わせることを繰り返し、まず親の世代を作ります。その親と親を掛け合わせて形質のいいF1種子を採種するのですが、いくつも試行品種を作っては捨てていきます。
佐藤 97~98%は捨てると資料にありました。私も書く時には構想メモを作りますが、書こうと思いついたことの6~7割は捨てます。そこが重要なんですね。
坂田 創業者である私の祖父・武雄が「成功の秘訣は何ですか」と聞かれて、「捨てることです」と答えているんですね。いいものだけを残して、他は全部捨てる。
佐藤 一人の開発研究者が十数年見続けるということもあるわけですね。
坂田 ええ、育種を担当するブリーダーは開発する品種に長く付き合うことになります。ただ、ブリーダーの考えだけで品種を選抜するのではありません。生産者のニーズ、流通のニーズ、消費者のニーズといったさまざまな要素を反映させます。
佐藤 具体的にはどんなニーズなのですか。
坂田 生産者は、育てやすい、病気に強い、倒れないということなどを重視します。一方で流通業者は、日持ちするとか、見栄えがいいということが重要になります。そして消費者は、野菜では味や香り、花では色や形などですよね。それらを満たすためには、新品種ができてから実際の産地での試作も必要です。さらにタネの生産の試験や販売用に十分な量のタネの生産などもあり、どうしても長い年月がかかってしまう。
佐藤 10年、15年先の品種を作るのですから、流行を先読みすることも必要ですね。
坂田 そうですね。特に花は、色や用途によって形状が変わってきます。また、それぞれの国で、好みの色や形があります。例えば中国は、花だったらとにかく赤です。
佐藤 ロシアも赤ですね。安いものならカーネーション、高いものならバラです。
坂田 インドでは黄色のマリーゴールドが好まれますし、アジアの他の国々はだいたいピンクの花が好きですね。
佐藤 それは文化と密接な関係がある。
坂田 ですから現地のトップは、基本的に現地の方になってもらいます。野菜にしても花にしても、食文化や園芸文化を理解していないと商売にならない。日本人がいくら勉強や経験を積んだとしても、現地で生まれ育った人にはかないません。
佐藤 それは現地従業員のキャリアパスの点でも希望を与えますよね。自分も将来に可能性があると考えれば、一所懸命に働きます。
坂田 おっしゃる通りです。だから私どもはグローバルとローカルを足して「グローカル」という形を目指しています。
佐藤 坂田社長も、世界各国を回られるのですか。
坂田 コロナの前は、毎年地球を3~4周くらい回っていましたが、この2年、まったく出られなくなりました。やはり現場で直接話を聞くことは重要で、これまでも「GENBA(現場)」と「KODAWARI(こだわり)」という言葉を、日本語のまま現地に浸透させるようにしてきました。また、新しい品種を作る際、内部試作を経て外部試作に出しますが、それはまだ品種になっていないものですから、専門家が実際に見ないと良し悪しがわからない。
佐藤 それはリモートでは無理でしょうね。
坂田 私はずっと、フェイス・トゥ・フェイス・コミュニケーションの重要性を説き続けてきたんですよ。もちろん映像を通じて最小限のことはわかります。でも相手と感情のキャッチボールをしたり、研究開発のレベルのやりとりはできない。
佐藤 今回のコロナ禍でわかったのは、リモートのやりとりだと、あまり疲れないことですね。一方、直接会うのは疲れる。それはそれだけお互いに深くかかわりあっているからだと思います。
坂田 その通りです。相対(あいたい)で話せば、一言の中にでも感情のキャッチボールがあり、分かり合えるところがあるじゃないですか。このコロナで冠婚葬祭が減ったり、巣ごもり需要で園芸用品が伸びたりと、さまざまな影響が出ましたが、長期的に見ると、この現地に行けなくなったことが一番心配ですね。こうしたことは将来に向け、じわりじわり効いてくるものですから。
佐藤 坂田社長は創業家の3代目です。その将来はどのように描いておられますか。
坂田 私どもが得意とするブロッコリーやキャベツ、ハクサイといった野菜はアブラナ科で、葉菜類の野菜です。それとは別に、トマトやピーマン、ナスなどはナス科に属し、果菜類と呼ばれる野菜になります。こちらもどんどん伸ばしていきたい。
佐藤 トマトの消費量はどんどん伸びています。
坂田 野菜の中で一番タネの消費量が多いのはトマトです。世界で断トツに大きい市場で、加工用、生食用とあり、いまトマト品種戦争が起きています。私どもは日本では強いのですが、グローバルではまだまだシェアが小さい。
佐藤 10年後はどんな会社になっていますか。
坂田 名実ともに、日本発のグローカルなベストカンパニーと呼ばれる総合種苗会社になりたいですね。いまはその成長期だと考えています。
[2/2ページ]