日本発の「グローカル」総合種苗会社を目指して――坂田 宏(サカタのタネ代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
野菜と花に特化した種苗会社「サカタのタネ」は、21カ国に27拠点を持ち、170カ国以上でビジネスを展開する隠れたグローバル企業だ。同時に新しいタネの開発も行い、毎年野菜10種、花40種ほどの新品種を出す。自ら世界各地を回り、陣頭指揮を執ってきた3代目社長にその成長戦略を聞く。
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佐藤 普段、意識することはありませんが、「サカタのタネ」は非常に身近な会社です。食卓に並んでいるキャベツやニンジン、ネギなど野菜の多くは、サカタのタネのタネを育てたものである可能性が高い。
坂田 私どもは野菜と花に特化した種苗のビジネスを行っています。日本国内だけでも野菜ではだいたい40品目400品種、花では100品目1500品種を扱っていますから、身の回りのどこかには、私どもの商品があるでしょうね。
佐藤 また、新しい品種も送り出してきました。何といっても有名なのは「プリンス」メロンです。高価だったメロンを日常化させ、気軽に食べられるフルーツにしました。
坂田 あれはフランスの糖度の高いメロンと日本のマクワウリを掛け合わせたものです。それによって育てやすく、通常は1本の蔓に1玉しかつけないところを、2玉つけても高品質の青果が収穫できるメロンを作り出しました。1962年のことです。
佐藤 「アンデス」メロンもサカタが作った果物ですね。
坂田 はい。さらに栽培しやすく、外側が網目模様ですから、見栄えもいい。「アンデス」メロンは77年に売り出しました。「作って安心、売って安心、買って安心です」のキャッチフレーズから、安心のアンと、芯を取って食べるのでシンは取って、末尾のデスをつなげたのがその名の由来です。
佐藤 資料を拝見すると、世界各国で、しかもかなり広範囲に展開されています。海外には21カ国に27拠点があり、170カ国以上の国でビジネスをされている。知られざるグローバル企業ですね。
坂田 売り上げの約6割は海外です。また研究拠点は海外10カ国に13カ所あり、種の生産も19カ国で行っています。天候や環境変化のリスクに対応しながら種苗を安定供給するためには、複数の場所で生産する必要があるからです。また北半球と南半球に生産地があれば、1年に2度タネが採種できます。
佐藤 いま、主力商品は何になりますか。
坂田 ブロッコリーは国内シェアが75%、海外シェアも約65%あります。花ですと、トルコギキョウが国内では約30%ですが、海外は約70%ですね。
佐藤 世界の中で、日本や「サカタのタネ」の育種技術は、どんな位置付けになるのですか。
坂田 種苗会社が世界トップレベルの研究をしているのは、日本とオランダ、イスラエル、それにアメリカです。規模で比較するのはなかなか難しいのですが、私どもは世界で4、5番目くらいだと思います。中国の化工集団公司に買収されたスイスのシンジェンタや、ドイツの製薬大手バイエルに買収されたアメリカのモンサントなどは穀類も含めて事業展開していますから、非常に巨大です。私どものような独立系としては、日本にタキイ種苗さんがあり、オランダに4社ほど大手と呼ばれる会社があります。
佐藤 日本の場合、コメは国が主導して品種改良してきました。つまり戦略物資という扱いですね。これは世界から見ると珍しいのですか。
坂田 穀物を民間に開発させてこなかったのは、珍しいでしょうね。いまは民間でも研究開発することはできますが、なかなか手を出すところはないと思います。
欧州農業の中心オランダ
佐藤 名前の挙がったオランダは、一般にはチューリップのイメージが強いのですが、さまざまな野菜を栽培している農業大国ですよね。
坂田 ドイツ人が「偉大なる農民」と称えたほどで、世界第2位の農業輸出国です。オランダは、日本と共通点がいろいろあります。まず、国土が狭い。オランダは九州と同程度の面積しかない小国です。そして、農業をするには非常に厳しい環境にある。
佐藤 土地の多くがポルダーと呼ばれる干拓地で、国土の4分の1が海面より低い。
坂田 古くは風車ですが、堤防や水門、可動堰などによって水を克服したのは、本当にすごいことです。
佐藤 確かに農業には向いていない土地ですね。
坂田 一方、日本には梅雨や台風があり、多湿で寒暖差も大きい。こちらも野菜や花の栽培には向いているとはいえません。けれども環境が過酷であればあるほど、いい品種ができます。過酷な状況で育つ品種は、どこに出しても通用しますから。
佐藤 イスラエルも同じですね。
坂田 その通りです。こうした環境に加えて、国民が勤勉で、忍耐強い。根底にあるこれらの要素が、オランダを育種研究のトップに押し上げたのだと思います。
佐藤 オランダが種苗で台頭してきたのは、いつからですか。
坂田 実は意外に歴史は浅く、第2次世界大戦後からです。その前はドイツです。ドイツ中央部にエアフルトという街があります。そこを中心とした一帯がヨーロッパ農業の種苗の中心地でした。
佐藤 エアフルトは大戦後に東ドイツに入りますね。
坂田 はい。東西ドイツの境に位置しますが、東側に組み込まれてしまった。それで西側に逃げた種苗店さんもあったと聞いています。
佐藤 戦後、東側で種苗が伸びなかったのはよくわかる気がします。当時のソ連は、メンデルの遺伝法則を否定し、環境による変化が遺伝すると考えるルイセンコ学説が主流でした。そこから日本にも紹介されたヤロビ農法などが出てくるのですが、それは麦のタネを低温にすると収穫量が上がるなどという農法だったんです。それで60年代半ばくらいまでソ連の農業は停滞します。
坂田 そうでしたか。
佐藤 当然、東側諸国はその影響下にありましたから、農業がダメになってしまった。
坂田 それはもったいなかったですね。エアフルトはヨーロッパの農業の中心地でした。そこがなくなり、オランダが国家として基幹産業の一つにすべく乗り出してきた。彼(か)の国では産官学の連携がすごいんですよ。それに輸出では、野菜も花卉(かき)も、品質で「優良可」のクラス分けをすると、「優」を輸出する。
佐藤 輸出優先なのですね。
坂田 日本なら「優」は国内向けです。でもオランダは、国内は「良」にする。
佐藤 そのオランダ人の行動は、宗教からも理解できると思いますね。
坂田 どういうことでしょう?
佐藤 オランダ人は、ほぼ全員、カルバン派のプロテスタントです。オランダでカトリックだった人たちは、ベルギーに行ってフランドル人になります。カルバン派の基本的な考え方は「二重予定説」です。神に救済される人と滅びる人は生まれる前から決まっているというもので、しかし人間にはそれがわからない。ただ自分の仕事が成功していると、おそらく誰もが神に選ばれているだろうと思うはずです。でもはっきりとはわかりませんから、成功し続けなければならなくなる。そして、そこで生じた成果物は、神に返すものだと考えます。つまり、他者に与える。そしてお金ができたら、浪費せずに投資します。
坂田 確かにオランダ人は浪費しませんね。
佐藤 オランダ人の成功に掛ける情熱や勤勉性は、カルバン派の倫理観に通じていると見ることができます。
坂田 なるほど、それがオランダの園芸作物輸出の成功につながっているわけですね。
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