菅原文太を東映看板スターにした二人 ヤクザのようなプロデューサーと「おやっさん」と呼んだ先輩俳優
運も実力のうちという。いや、実力が運のうちなのかもしれないが、ともかく菅原文太は俳優としての運に恵まれた。遅咲きで燻ったせいで任侠映画の隆盛に乗り遅れたが、おかげでその退潮に巻き込まれずにすんだ。安藤昇との出会いが最後の舞台・東映への移籍へとつながり、移籍後はさらに二人の恩人と出会うことになる。スター・文太を生み出した人の合縁奇縁について、『仁義なき戦い 菅原文太伝』(新潮社)の著者、松田美智子氏が紹介する。
菅原文太が松竹から東映に移籍したのは1967年、34歳のときだが、移籍から間もなく恩人が二人できた。...