ドラ1候補、明桜・風間球打は「松坂超え」 夏の甲子園最新球速ランキング
コロナ禍や雨天順延に悩まされた、今年の夏の甲子園だが、智弁和歌山が21年ぶり3度目となる全国制覇を達成して幕を下ろした。注目のドラフト1位候補の明桜・風間球打が今大会最速の152キロをマークした。これは1998年の松坂大輔(横浜)を超えるスピードだ。日大山形・滝口琉偉もまた、150キロを出すなど、東北勢の活躍が目立つ大会だった。
甲子園初150キロ台は高知商・中山裕章
甲子園にスピードガンが設置されたのは1992年のこと。スコアボードに球速が表示されたのは04年以降であるが、それ以前にも、夏の甲子園にやって来たプロ注目の剛腕が最速何キロを出すか、ファンの間では興味は尽きなかった。
まず、日本でスピードガンが普及しはじめた1980年の夏の甲子園では、秋田商・高山郁夫が2回戦の田川戦で最速149キロを計時した。当時、剛腕と呼ばれた投手は、130キロ台後半から140キロ前後がほとんど。当時の高山がいかに抜きん出た存在だったかがよくわかる。その後、85年に高知商・中山裕章が、3回戦の川之江戦で最速150キロを叩き出した。これは甲子園で初となる150キロ台だった。
83年から甲子園で登板した各校エースの球速を掲載している「報知高校野球」によると、80年代では、仙台育英・大越基の147キロを筆頭に、宇部商・秋村謙宏、尽誠学園・伊良部秀輝、佐賀工・江口孝義、津久見・川崎憲次郎がいずれも最速146キロを出している。90年代以降では、宇和島東・平井正史が147キロを計時し、前出の大越と並んでいる。
球場の球速表示に限定するか、スカウトのスピードガンの数字も含めるかで、歴代ランキングは微妙に変わってくるが、今回は、基準を球場の球速表示に揃えて、「松坂世代」が登場した1998年から2021年までの夏の甲子園「球速ランキング」を作成してみた。
【155キロ】
佐藤由規(仙台育英)、安楽智大(済美)
【154キロ】
寺原隼人(日南学園)、菊池雄星(花巻東)、今宮健太(明豊)、奥川恭伸(星稜)
【153キロ】
釜田佳直(金沢)、北方悠誠(唐津商)、藤浪晋太郎(大阪桐蔭)、高橋宏斗(中京大中京)※
【152キロ】
辻内崇伸(大阪桐蔭)、高田萌生(創志学園)、今井達也(作新学院)、風間球打(明桜)
【151キロ】
松坂大輔(横浜)、新垣渚(沖縄水産)、大嶺祐太(八重山商工)、小笠原慎之介(東海大相模)、柿木蓮(大阪桐蔭)、中森俊介(明石商)、小林樹斗(智弁和歌山)※
【150キロ】
田中将大(駒大苫小牧)、岩嵜翔(市船橋)、秋山拓巳(西条)、大谷翔平(花巻東)、清水達也(花咲徳栄)、吉田輝星(金足農)、井上広輝(日大三)、池田陽佑(智弁和歌山)、滝口琉偉(日大山形)
※=2020年交流試合
このように150キロ以上を記録した投手は、今大会の風間と滝口を含めて、30人に達した。98年には、沖縄水産・新垣渚が1回戦の埼玉栄戦で、当時の甲子園史上最速となる151キロをマーク。続いて、横浜・松坂大輔も2回戦の鹿児島実戦で151キロを出し、わずか3日後にライバルの新垣と肩を並べている。
「夢の160キロ台」は……
一方、松坂世代が出した記録を大きく塗り替えたのが、日南学園・寺原隼人である。1回戦の四日市工戦で、2人に並ぶ151キロをマークした寺原。続く2回戦の玉野光南戦でも、5回からリリーフすると、2イニング目の6回に154キロを記録している。
ちなみに、寺原は1回戦の試合後に発熱し、この日は点滴を打っての登板だった。体調不良にもかかわらず、“平成の怪物”の最速記録をあっさり更新してしまうのだから、まさに“怪物を超えた存在”ともいえる。
さらに、07年には仙台育英・佐藤由規が、2回戦の智弁学園戦で155キロをマークして最速記録を更新した。現在でも13年の済美・安楽智大とともに甲子園歴代最速記録となっている。このほか、サウスポーでは09年の花巻東・菊池雄星が154キロで最も速く、05年の大阪桐蔭・辻内崇伸が152キロで続いている。
「夢の160キロ台」は、甲子園ではまだ実現していない。しかしながら、大谷翔平や佐々木朗希といった高校生時代に160キロを超える投手が現れている。その出現は、時間の問題であろう。