新聞が「反政府報道」と「愛国報道」を行き来するワケ 朝日・毎日・読売はこうして儲けた
新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言下の東京五輪が終了した。五輪開催に反対を主張した新聞、テレビのマス・メディアも、いざ開幕すると日本選手の活躍や史上最多のメダル獲得を大々的に報じ、読者、視聴者である国民も歓呼して応じた。自国の選手を応援するのは自然な感情で、それ自体は批判されるべきものではない。だが、その報道ぶりや反応は、戦時期の「愛国報道」および勝利に沸く国民の様を想起させることも確かである。マス・メディアが手のひら返しを繰り返す理由を『言論統制というビジネス』を上梓した大妻女子大学人間生活文化研究所特別研究員の里見脩さんが解説する。
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愛国報道の構造
国民世論形成に関わるメディアは、政治権力(政府)および国民と密接な関係にあり、メディアを考える際には、政府、国民との絡み合いが重要な要素となる。またメディアは国民世論形成に関わるという公的な側面を有する反面で、NHKという公共放送を除いて、営利追求を目的とした私企業という立場も有している。「なぜメディアは愛国報道をするのか」という問題を考えるには、メディアの構造を踏まえる必要がある。
「戦争は、新聞を肥らせる」といわれる。徴兵制で肉親が兵士として従軍し、また戦局の状況が日々の生活に直結するだけに、戦争に関する情報を得たいと思う国民が新聞を進んで購読し、新聞は売れるのである。戦時期の日本では、テレビはなくラジオも日本放送協会だけという状況下、絶対的なメディアである新聞を進んで購読した。一方の新聞も戦争をビッグチャンスとし販売攻勢を仕掛けた。
明治期に「萬朝報(よろずちょうほう)」という新聞を創刊し経営者として辣腕を振るった黒岩涙香は「新聞社経営の要諦は、平時においては反政府、戦時においては親政府」という言葉を残している。萬朝報は、政府高官ら著名人のスキャンダルを売り物にし、政府に批判的な幸徳秋水、内村鑑三、堺利彦を社員とするなど「反政府」の主張を掲げたが、日露戦争開戦と同時に「愛国報道」に転じ、これに怒った幸徳らは退社している。それは時の政府との関係や私企業としての儲けとの絡みを示すものだ。
戦前期に全国紙と呼ばれたメジャーな新聞は朝日、毎日、読売の三紙だが、その背景には共に政府との関係が存在する。
日本の新聞の出発点は、反政府の自由民権運動で、戊辰戦争に敗れた幕府支持諸藩の武士が刀を筆に替えて、薩長藩閥政府を攻撃したとされる。これに対し政府は厳しい言論統制で取り締まったが、そればかりでなく政府支持の新聞、所謂「御用新聞」の育成にも力を入れた。
新聞には「権力の金」が流れている
朝日は、密かに政府から多額の補助金を受領している。これはメディア史が専門の東京経済大元教授の有山輝雄が伊藤博文関連文書の「内閣機密金勘定書」から発掘したものである。補助金の受領は朝日が三井銀行から借金し、その返金を政府が代理返済するという仕掛けがなされたという。
また毎日は反政府系新聞として創刊したが、山県有朋系の人脈が入り、政府と関係を結んだとされる。
読売は坪内逍遥、尾崎紅葉らを社員とする文学新聞として創刊、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」は同紙に連載されている。しかし大正期に入り財政事情が悪化した。そうした同紙を内務官僚・警視庁警務部長であった正力松太郎が買収し、社長に就任した。正力は摂政宮狙撃事件の責任を問われ退官しており、資金は内相として仕えた後藤新平が援助した。後藤には政治力強化のため、自身の意になる新聞を持ちたいという思惑があったといわれ、同紙を内務省が支援したとされる。
つまり、朝日、毎日、読売は、いずれも表向きは政治的「中立」を標榜したが、裏面では政府と隠微な関係を結んでいたわけだ。また戦争との関りでは朝日、毎日は日清、日露戦争で、読売は日中戦争で、その経営基盤を形成している。
また地方では、かつて一つの県に数十、数百の地方紙が存在し、1938(昭和13)年5月現在で、全国に総計1万3428紙もの新聞が存在している。地方紙は、自由民権運動の流れを引き継ぎ政友会、民政党と政党支持を明確にし、政党の支持者がイコール購読者として経営基盤となっていた。地方紙も政治権力と深く結びついていたのである。
甲子園も軍用機も、すべては部数のため
新聞業界では全国紙、地方紙が激しい販売競争を繰り広げた。資本力に勝る全国紙は新聞拡張を意図して、さまざまなイベントを企画、実施した。
その代表的なものに、朝日が発案した夏の甲子園球場での高校(当時は中等学校)野球、春の選抜高校野球は毎日が後追いしたものだ。これに対抗して読売はプロ野球を。また正月の箱根路の関東大学駅伝は報知新聞が発案し、報知を合併した読売が現在は主催している。
こうしたイベント企画は戦時においても発揮されないはずはなく、読者に募金を呼び掛けて軍用機、高射砲、戦車など兵器を軍部に献納し、凱旋行進、ニュース映画上映など知恵を絞って「戦争協力事業」と称した愛国イベントを企画、実施した。拙書『言論統制というビジネス』は、こうした戦時期の新聞メディアの動きを検証した。
「私は戦争を準備する」
しかし、政府との関係強化や営利追求は、日本の新聞メディアだけではなく、アメリカの新聞メディアも同様だ。1898年のスペインとのキューバを舞台とした米西戦争開戦の際の、「ニューヨーク・ジャーナル紙」のオーナー、ランドルフ・ハーストの電報は典型的事例だ。ハーストは映画「市民ケーン」のモデルで新聞王の異名をとった人物である。ハーストは戦争を新聞拡張の好機と捉え、開戦へ向けた愛国キャンペーンを展開した。新聞に掲載する絵を描くため画家を現地に派遣したが、現地は戦争の気配がなく平穏で、画家は「全て静かだ。戦争も起きないようだし、帰国したい」と電報を打ってきた。これにハーストは「君は留まり絵を描け。私は戦争を準備する」と返電した。この戦争に勝利したアメリカはスペイン領であったフィリピン、グアム、キューバを奪取している。
米マサチューセッツ工科大学名誉教授ノーム・チョムスキーは、ニューヨーク・タイムズ紙など現代の米紙の戦争報道に関して「マス・メディアは企業であり、その行動様式は、他業界の企業と変わることがなく、基本的には商品を生産し、販売することで利益を得て、組織を存続させている。利益を得ることや、企業体として存続するということを優先させるため、政治権力や有力な社会層のためのプロパガンダを行い、共通の利害や、もたれ合いの関係を結ぶ」(『マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学』)などと指摘している。
つまり、新聞メディアは、基本的に企業という側面があり、愛国報道もそうした思惑の上で作成されているのである。これに対応するには、「メディア・リテラシ―(読解力)」を身に付け、メディアが伝える情報を読み解く能力を磨くことが求められる。