韓国学生の神風特攻隊ミュージカルに弾圧 「教育費支援の中断を」「ここは北朝鮮なのか?」の声
「いずれにせよ一線を越えた」
その点、学生らは「朝鮮人の青年たちが貧困と差別から逃れようと夢や希望を追い求めた姿は今の私たちと類似していると感じた」「無謀かつ、非人間的な作戦を決行した当時の日本は当然非難されなければならず、許し難い行為だ。私たちは人権蹂躙に強い批判をしようともがく少年たちの話をしようとした」と申し開きをしている。
これに対して一部の韓国民からは、「主権国家の青年が複合的な理由で就職難に直面する場合と、植民地の青年が全ての出世の道を絶たれ、ただ朝鮮人というだけで死の道を選択せざるを得なかったことを同一視し、政府批判の演劇を作りたいのか。それとも日本を称賛する演劇を作りたいのか。いずれにせよ一線を越えたようだ」などといった厳しい声も寄せられている。
この手の主張に関して言えば、正確な歴史認識に基づいているとは言い難いが、ある種の韓国人の典型的な思考パターンだとは言えるかもしれない。つまり日本に併合されていた時代の韓国人には何ら主体性は無かった、一方的な被害者だ、という認識である。
言うまでもなく韓国ではまだ反日色が根強く残っている。そんな中で学生たちがわざわざ親日演劇を制作するメリットはないし、そのつもりもないだろう。
あくまでも学生らの意図は、当時の日本政府批判を前提に、神風特攻隊に自身を重ねて文政権を批判し、自分たちの将来に対する不安を韓国世論に訴えようというものだったと見られる。そのやり方は拙劣だったかもしれないが、過去と現在をこのように重ね合わせる手法はさほど特殊なものとは言えない。
法案通過で広範囲で言論統制へ
一方、学生らの思いを知ってか知らずか大人たちは彼らを頭ごなしに批判し、若者たちの言論の自由を奪おうとしたことは事実だ。韓国の若者たちが現状に生きづらさを感じ、「未来に希望を持てない」と嘆くのは無理もない。この騒動は逆説的に、現代の学生たちが直面している息苦しさを示しているかのようだ。
韓国では今月18日に「共に民主党」が提出した「言論仲裁及び被害救済に関する法律(言論仲裁法)改正案」が強行採決・処理されたばかりだ。結果、若者のみならず広範囲で言論が統制されることになるかもしれない。
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