江川、ダルビッシュ、桑田&清原… 夏の甲子園で“雨に泣かされた”スター選手たち
今年、2年ぶりに開催された夏の甲子園。だが、ここまで雨天順延で大幅な大会日程の変更を余儀なくされている。決勝は8月29日と史上最も遅い日程となった。これだけ雨に祟られる大会も珍しいが、時として雨が“名脇役”として試合に大きな影響を与えることがある。雨中の激戦3勝負を選んでみた。
まずは1973年の第55回大会の2回戦、銚子商(千葉)対作新学院(栃木)の一戦だ。この年の作新学院は“昭和の怪物”江川卓(元・読売など)を擁し、春の選抜でべスト4入り。江川は1大会での通算最多新記録となる60奪三振をマークするなど、一躍旋風を巻き起こした。
その江川が夏の栃木大会を勝ち抜いて再び甲子園にやってきた。しかも5試合中ノーヒットノーラン3試合を含む44回無失点と、驚異的な成績を引っさげての出場だった。当然、春に続いて夏も大記録を打ち立てるのでは……と野球ファンの期待は膨らむばかりだった。
銚子商は、2年生エースの土屋正勝(元・中日など)を中心としたチームだった。しかも同じ関東地区の学校ということもあって、作新学院とは練習試合を含めて12回も戦っていた。このうち銚子商が勝ったのは江川が投げなかった練習試合2試合のみ。とはいえ、“雨の日は力が落ちる”など、相当な量の江川攻略データが揃っていた。何よりも江川に対する“慣れ”がどのチームよりもあった。こうして“打倒・江川”に燃える銚子商が、雨とともに作新学院の前に立ちはだかったのである。
朝から降り続く雨で、第3試合だったこのゲームのグラウンドはコンディションが最悪になっていた。一時止んだものの、8回を過ぎてから再び降り始め、しかも回を重ねるごとに雨足は強くなっていく。そんななか、両エースが譲らぬ投げ合いをみせ、試合は0-0のまま延長戦に突入する。そして先に限界を迎えたのが江川だった。
延長12回裏、2四球と中前安打で1死満塁と絶体絶命のピンチに立たされたのだ。雨が気になる江川はボールの握りを確認する仕草を何度も繰り返した。相手打者の長谷川泰之に対しては3-2のフルカウントとなっていた。
この土壇場で江川は内野手全員をマウンドに集め、「ボールになるかもしれないけど、真っすぐを力いっぱい投げてもいいか」とチームメートに尋ねた。これに対し「お前の好きなボールを思い切って投げろ。お前がいたから、俺たちここまで来られたんだろ」と答える球友たち。そして運命の1球。この日江川が投じた169球目は明らかに高く外れるボールとなってしまう。0-1の押し出しサヨナラ負けである。降り続く雨のなか、こうして怪物・江川と作新学院は散っていったのだった。
雨中のダルビッシュ
2試合目は04年第86回大会の東北(宮城)の試合である。この年の東北は超高校級右腕・ダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)を擁し、優勝候補の筆頭だった。当然、東北勢の悲願である深紅の優勝旗の“白河の関越え”が大いに期待されたのである。
その期待に応え、ダルビッシュは1・2回戦と余裕の連続完封。迎えた3回戦の相手が好投手の左腕・松本啓二朗がエースの千葉経大付だった。
ときおり激しい雨が叩きつけるなか、試合はこの両投手の投手戦となり、両チーム0行進が続いた。迎えた7回裏。東北は1死二、三塁のチャンスを作り、6番・加藤政義(元・横浜DeNAなど)の一ゴロで待望の先制点を挙げる。この1点で試合は決まるかと思われた。だが、千葉経大付も最後の粘りをみせ、9回表に2死ながらランナー三塁と一打同点のチャンスを掴む。ここで3番・伊原努の打球は、平凡な三塁ゴロ。誰もがダルビッシュの3試合連続完封勝利と思った瞬間、三塁手・横田崇幸が前へこぼしてしまう。慌てて拾って一塁へ送球するも、これが悪送球となってしまった。
これで息を吹き返した千葉経大付は延長10回表、2死二塁から9番の河野祥康がダルビッシュから決勝打となる中前適時打を放つなど、2点を勝ち越すのである。その裏、なんとか反撃したい東北であったが、松本の前に三者三振に打ち取られてしまった。奇しくも最後の打者はダルビッシュであった。
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