夏の甲子園で773球も投げて疲労骨折…「悲劇のエース」はこうして生まれた
夏の甲子園大会は、これまでにも数多くの好投手たちが熱いドラマを演じてきた。評判どおりの実力を発揮し、見事栄冠を手にした投手がいる一方、思わぬ悲運から敗れ去ったエースも忘れがたい存在だ。
1980年代にプロ野球界で「炎のストッパー」として活躍した男もそのひとりだ。南陽工時代の津田恒美(元広島)である。1978年春、センバツで三振の山を築き、8強入りにチームを導いた津田は、夏も連続出場。チームは優勝候補に挙げられていた。初戦の宇治山田商戦、津田は時には打たせて取る余裕も見せながら、被安打3、奪三振9で、2対0の完封勝利を飾った。...