人といると孤独なのに、一人旅だと寂しさを感じない理由(古市憲寿)

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 一人旅は寂しく、孤独だ。一般的にはそう思われがちである。しかし沢木耕太郎さんは「一人旅だとさびしくならない」という。なぜなら一人旅には他人との関与が不可欠だから。見知らぬ誰かに道を聞いたり、ホテルのフロントで盛り上がったり、出会いがある(「新潮」2021年8月号)。

 僕自身の経験を振り返ってもそうだ。ロンドンで留学時代の友人に出くわしたり、ローマのタクシー運転手に口説かれたり、ヘルシンキで社会運動家の女性に「アジト」へ案内されたり、事件は一人旅の方が起きやすい気がする。

 見知った人との旅行は、どうしても世界が身内で完結してしまいがちである。ただ「背景」が変わるだけなのだ。アテネで友達の愚痴に頷き、紅海で仕事の武勇伝を聞き流し、クラクフで日本政治について議論したことを懐かしく思い出す。

 そもそも人間はなかなか孤独にはなれない。物理的に一人になることは簡単だが、スマートフォンを開けばSNSでの誹謗中傷、LINEでの噂話など、そこには他者が溢れている。たとえスマホを切っても、頭の中を空っぽにするのは至難の業だ。意地悪な同僚や、むかつく知人の顔が浮かんでしまうという人も多いだろう。

 また、何かに没頭してしまえば、孤独を意識することもなくなる。夢中で文章を書きつけたり、写真撮影をしたりする時、寂しさを感じる余裕もないはずだ。

 一方で、目の前に他者がいる時に孤独感を抱くのは簡単である。会話が途切れて無言になったり、話がまるで合わなかったりするだけで、「二人なのに悲しい」「みんなでいるのに寂しい」と思ってしまう。一人の時よりも、孤独を抱く基準が下がっているのだろう。

 寂しさは相対的でもある。世界中が寂しいなら我慢できても、一人だけ寂しいのは耐えられない。心配なのは、コロナが収束して社会が元通りになっていく過程だ。大規模イベントやパーティーが当たり前に開催されるようになった時、より寂しさを意識する人が増えるのではないか。「私だけが一人だ」と絶望する人がでてくるのではないか。

 その一つの解決策が、旅の思考なのかも知れない。

 岡田悠さんの『0メートルの旅』という抜群に面白い旅行記がある。創造的な旅人の前では、どこでも旅先になり得ることを証明した本だ。たとえば岡田さんは「1週間、江戸時代の古地図だけで生活してみよう」と思い立つ。スマホから現代の地図を削除、「大江戸今昔めぐり」というアプリをインストールする。古地図にある道だけを進み、遠回りを繰り返す中で、ある愛しい出会いが生まれた。

 岡田さんは言う。「いつもの視界に、新しい景色を創った瞬間」、それは旅になるのではないか。その意味で、コロナ時代もまた旅のようなものなのだろう。世界は姿を変えたが、やがて日常が戻る。それを「家に帰る」と思うか「新しい旅先に着く」と考えるかは各自が解釈すればいい。その時、もしも寂しかったら、また新しい旅に出ればいい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年8月26日号掲載

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