「中田翔」巨人入り即出場のおかしさ プロ野球界の深刻な末期症状が露呈

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野球界の体質は相当時代遅れ

 巨人軍が中田翔選手の獲得を発表し、翌日には1軍戦に出場させ、2日後の22日にはホームランが飛び出して巨人ファンを喜ばせた。

「まだ32歳、才能ある野球人である。過去、現在、未来全てを共有する覚悟で、ジャイアンツとしてはもう一度チャンスを与えるべきだと私自身も思った」

 原辰徳監督は入団に際してコメントした。

 チームメイトへの暴力が発覚し、日本ハムが「無期限出場停止」を発表してわずか9日後に巨人移籍が決まると処分は解除され、「すぐにでも出場可能」と変わった。この不思議な「裁定」に違和感を覚える声はもちろん少なくない。ところが、巨人や中田を非難する声は大きくならず、巨人や原監督はまるで中田を救った白馬の騎士のような趣さえある。

 一連の出来事の「おかしさ」の原因はプロ野球界のルールにある。今回、暴力事件を起こした中田翔選手の処分を決めたのは日本ハム球団で、リーグやコミッショナーは関与していない。よく言えば「球団の自治」が主体となっているプロ野球界では、コミッショナーの権限は弱く、各球団が判断できる仕組みになっている。昨春、巨人にコロナ陽性者が出たときも、対応を決めたのは巨人で、上部組織の判断を仰ぎはしなかった。これが他のスポーツなら当然、上部団体に報告、上申し、裁定を仰ぐのが普通だ。昨今のガバナンスの観点から言っても、それが当然だろう。Jリーグなら、チェアマンが調査し、審議の上で裁定を下す。球団や選手はそれに従う立場だ。相撲界の暴力事件も同じだった。部屋の親方が独自に処分を決め、それで問題を終わらせたりはしない。もっとも相撲界の場合、協会の裁定自体にも疑義があり、さらに第三者機関の判断を仰ぐべきではないかという批判もあった。先日、JRAで起きた調教師による騎手への暴行事件も、簡裁の略式命令を受けた上で、JRAの裁定委員会で実質3ヵ月の「調教停止」が決定された。こうした例を見ても、チーム内の問題をチーム内の都合だけで終わらせる野球界の体質は相当時代遅れで、広く国民の信頼を得られる仕組みになっていないのは明らかだ。

「球界の紳士たれ」をモットーにしながら

 日本ハムは、独自に「無期限出場停止」を決め、巨人移籍が決まるとすぐ「処分解除」を決めて無償譲渡した。巨人に対して吉村GMは不可解な説明までしている。巨人の大塚副代表は中田入団に際して次のようにコメントしている。

「被害にあった選手と中田は『その日のうちに和解し、全然問題ない』と吉村GMから聞いています」

 全然問題ないならば、なぜ無期限出場停止だったのか? 結果的に見れば、3億円を超える高額年俸を払っていながら活躍しない中田翔の厄介払いがうまく出来た、という感じにも見える。そして巨人は、「球界の紳士たれ」をチームのモットーにしながら、「セカンド・チャンス」を理由に、中田の暴力を帳消しにしてしまった。原監督のコメントからは、「自分たちなら中田翔を更生させられる」とも取れる驕ったニュアンスも感じられる。

 私が問題にしたいのは、事の善悪ではない。中田の移籍を許していいのかと疑問を投げかけたいのでもない。誰が考えてもおかしな「中田翔の巨人移籍」「無罪放免での即出場」を、なぜ世間は強く批判もせず、放置しているのか? その理由が気になるのだ。

 東京五輪の開会式に関わった人物が、何年も前の不適切な行動・言動を非難され、役職を辞任したり解任されたりした騒ぎが記憶に新しいだけに、なぜ中田は許されるのか? 戸惑いを隠せない。東京五輪の関係者は断罪され、中田翔や巨人は見逃される。

 その理由はつまり、「野球なんてどうでもいい」「巨人は元からそんなチームでしょ」という社会認識があるからではないか?

 もしそうなら、野球界全体の深刻な末期症状を現している。

 プロ野球は社会から信用されていない。勝つためなら、儲けるためなら何でもする、資金力のある巨人はとくに強引なことをずっとやってきたからね、そういうイメージがすっかり定着して、呆れられているのではないか。だとすれば、未来がない。

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