首都直下地震が起これば「山の手も危ない」 地質地盤の立体図で判明
今後30年で「首都直下地震」が起きる確率は70%といわれる。都民はまさしく大災害と隣り合わせの生活を送っているわけだが、先ごろ都心部の「地質地盤」を初めて詳細に表した立体図が完成。何と、被害が予想される下町とともに、山の手もまた危ういというのだ。
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来るべき震災に備え、自宅の下に広がる地盤を知っておくことは重要である。が、東京23区では開発が進んで地層を直に見ることもままならず、これまで詳細な構造は知られていなかった。
そんな状況を大きく変えることになるのが、今回の「3次元マップ」である。図の作成に携わった、国立研究開発法人「産業技術総合研究所」(産総研)の中澤努・情報地質研究グループ長に聞くと、
「5月21日に、産総研のウェブサイトで『東京都心部の地質地盤図』を公開しました。立体画像を表示するソフトをインストールすれば、どなたでも無料で地下の立体図を見ることができます。また任意の箇所の地質状況がどうなっているのかを知るために、断面図を描画することもできます」
とのことで、
「東日本大震災では、首都圏でも千葉県の浦安など一部の地域で液状化現象が見られました。東京は震度5強でしたが、屋根の瓦が落ちたり家具が倒れたりといった被害が出た地域もあります。同じ大地震でも、地域によって被害の大小があることは皆さんも実感としてお持ちでしょう。なぜそうなるのかを考えると、おのずと地下の地質地盤に行きつくのではないかと思います」
このプロジェクトは、2013年から始まった「第2期知的基盤整備計画」に基づいて進められたという。
「産総研ではもともと、紙で地質図を出版していましたが、2次元のため平野部の地下の3次元的な広がりを表すのは難しかった。そこで立体化に取り組むことになったのです。ただ、これは全国的にも初めての試みでしたので、まずは千葉県北部をモデル地域と定め、その地質地盤図の立体化を試みました。関東平野にはさまざまな地層があり、各地層が最も典型的に観察できる場所を『模式地』といいます。木更津周辺などで地層が隆起し、崖などで地層を確認することができる千葉県北部は、関東平野の地層が最も典型的に分布している地域であり、モデルに適していたのです」
千葉県北部の地質地盤の立体図は18年3月に公開された。ここで培ったノウハウが、今回の東京23区版に活かされたという。
「手順としては、まず自治体(東京都土木技術支援・人材育成センター)のご協力のもと、おもに公共工事で採取された土木・建築工事のボーリングデータをおよそ5万点頂きました。それに加え、産総研でも独自にボーリング調査を実施し、新規で11カ所、すでにデータとして持っていた9カ所、合計20カ所の詳細なデータを用意しました。これを基準データと位置づけて地層区分を構築し、頂いた5万地点のデータと照合しながら地層を追っていきました」
ソフトは活用するものの、地層を突き止めるのは基本的に手作業。プロジェクトメンバー4人で、5万地点のデータがそれぞれどの地層にあたるか、一つずつ入力していったという。
「地層を対比するこの作業に、およそ3年かかりました。また地層は浸食と堆積を繰り返していくため、産総研の独自技術に基づいた計算で、その“境界面”を確かめていったのです」
「縄文海進」で
骨の折れる作業を地道に続け、東京23区版は完成した。
「23区は東西・南北ともおよそ32キロ、関東平野に位置しているわけですが、平野はまず台地と低地に分かれます。23区の東部は東京低地、西部には武蔵野台地が広がっており、西部の北側には荒川低地、そして南側には多摩川低地があります。その中で今回分かったのは、東京低地の地下に『埋没谷』が存在することです。ここに昔できた谷があることは知られていましたが、今回、その形状をこれまでに例がないほど詳細に描き出すことができたのです」
“埋没谷”とは聞きなれない言葉だが、
「埋没谷は、約2万年前の最終氷期に形成されたものだとされています。氷期では陸地上に氷河や氷床(ひょうしょう)が形成され、その分だけ海水面が下がっていく。最終氷期には地球上の海水面が120~130メートルほど低くなっていたといいます。埼玉方面から荒川と利根川が流れ込み、現在の足立区付近で合流して『古東京川』となり、今よりもずっと陸地が南に広がっていた東京湾に注ぎ込んでいました」
氷期が終わると、地球は温暖化して海面も上昇した。
「いわゆる『縄文海進』といわれるもので、それまでに利根川と荒川が作った谷に海水が入り込んでいきました。内湾なので静かな海で、上流から緩やかに土砂が溜まっていき、氷期にできた谷を埋めて陸地になっていきました。こうして地下へと姿を消したのが『埋没谷』というわけです」
東京では一般に、山の手の地盤は堅固で、下町は軟らかいとされているのだが、
「それは地層の成り立ちに由来します。下町、つまり東京低地は約2万年前以降に作られた地盤で、地層区分でいえば『沖積層』です。その主体となるのは泥層であり、軟弱なことが多い。一方で山の手、つまり武蔵野台地は約5万年前以前に作られ、地層区分は『更新統』。地盤は比較的固く、しっかりしているといえるでしょう」
実際に、今回完成した立体図を見ていくと、
「東京低地の地下には深い埋没谷を見ることができ、新木場の西側では深さ80メートルにも達しています。また、その谷は葛飾区や足立区などに連続し、深い谷地が確認できます。ただし、一概に“山の手は堅固で下町は軟らかい”とは言い切れません。たとえば埋没谷の縁(へり)のあたり、江戸川区の小岩地区近辺では沖積層が堆積しているものの、非常に薄い。一部の台地よりもかえって地盤がよいのではないかと思われます」
さらに続けて、
「これまで地盤がよいとされてきた武蔵野台地でも今回、一部で軟弱層によって埋積(まいせき)された埋没谷を見出すことができました。例えば高輪から恵比寿、渋谷、代々木にかけては深さ10~30メートルほどの埋没谷があります。長さおよそ10キロで、幅は大体3~4キロになります。また、世田谷区の西部にある多摩川の北岸にも、地下に長さおよそ10キロ、幅が約1・5~3キロの埋没谷が見てとれます。こちらはおよそ14万年前の氷期に造られたことがわかりました」
ちなみに首都圏では、埋没谷は千葉の柏から印西、成田にかけても存在し、また埼玉では浦和から大宮にかけて、同様の地層がみられるという。
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