恩師・栗山監督が明かす「大谷翔平」の素顔 右ひじ故障後に交わした会話とは
日本選手団の活躍で沸いた東京五輪だが、海の向こう、アメリカでも、それに勝るとも劣らない活躍が日々伝えられている。
シーズン後半の8月に入っても、20日現在、打っては40本と本塁打王争いのトップを走り、投げても8勝1敗と好投を続ける大谷翔平。同時代ばかりか、「二刀流」の成功者としては、ベーブ・ルース以来という、歴史を繙いても無二の存在となりつつあるから驚愕である。
「翔平には、身体のことを気にしないで思いっきり野球ができるようになってほしいと思っていたんです。今年はメジャーに行って、それができる初めてのシーズンになりましたね」
とは、大谷が日本球界に在籍していた2013年から17年まで彼を指導していた、日本ハムの栗山英樹監督である。
日本時代もそうだが、海を越えても大谷を悩ませていたのは怪我。18年に右肘、19年には左膝を手術し、昨年も右腕を故障している。それが今シーズンはここまで故障なく、プレーに専念し続けられているのだ。
「これが本当に良かったなあと。数字より何より、それが一番嬉しいんですよ」
まるで父親のように語る栗山監督によれば、その条件が整えば、これだけの数字を残すことにも驚きはないという。
「特に打者としては、メジャーに行ってもまったく心配するところはありませんでした。もともといじるところがないバッターで、飛距離が出る上に、確率を上げる技術もある。本人も自信を持っていて、“バッティングは父にしか教わったことがない”と言っていましたからね。正直言えば、まだもっと打てるはずと思っていますよ」
対して、投手としては、
「素材はまさに一級品で、あれだけ強く投げられるので腕の振りも速い。だから、逆に少しでもポイントがずれるとコントロールが崩れるし、肩に負担がかかるんです。能力があるがゆえに精度を上げるのも難しかったのですが、今シーズンはストライクゾーンで勝負できるようになっている。技術的に確実に進歩していると思います」
ちなみに、日ハム時代、打者・大谷と投手・大谷では人格が変わっていたという。打者としては素直で、状況に応じて「送りますか?」と自らバントを申し出ることもあったが、自我が出るのは投手の方。感情をむき出しにして「もう1回投げさせてください」と「泣き」を入れてくる場面もしばしばあったとか。
栗山監督が続ける。
「野球に対する姿勢は日本にいた時とまったく変わっていないな、と思いますね。こちらとしては、そんなことはないとわかりつつ、“もしかして違う方向に向かっていたら……”と心配は心配じゃないですか。とりわけ彼はまだ若いし、誘惑も多いから。でも、シーズンオフに毎回一度は会いますが、話してみると今も野球のことしか考えていないのがわかる。野球が一番で、野球にプラスになることしかしていない。変わらず集中できているんだな、とその度に実感させられますね」
“何が楽しいんですか”
「野球少年」。27歳と、選手としては中堅と呼ばれる年齢を迎えながら、大谷はしばしばそう形容される。
これまで野球といえば、マンガ「巨人の星」に代表されるような「スポ根」のにおいが付きまとっていた。猛練習に根性で耐え抜くといったものだ。あるいは、イチローのように「求道者」風のスタイルもある。
「しかし、大谷はストイックな雰囲気がまるでなく、別の景色の中でプレーしているように見えますね」
そう分析するのは、ノンフィクションライターの中村計氏である。
「努力はしても、そのにおいを感じさせないといいますか……。日本球界時代から練習熱心で知られ、クリスマスでも三が日でも365日練習していた。でも、ある時、本人に“練習熱心だねえ”と水を向けると、“小さい頃、バッティングセンターに行くのが楽しかったじゃないですか。それと同じ気持ちです”と答えたんです。プロ選手になっても、子どもの時と同じ感覚で野球を続けられるとは驚きですよね。“好き”という気持ちを、それが仕事になっても失わずに持ち続けられるところが、彼の最大の能力だと思います」
だから、大谷が、反対の声を浴びながらも二刀流を貫いてきたのは当然のこと。「野手に専念すればもっとホームランが打てる」、「投手に特化したら20勝できる」といった価値観ではなく、「打って投げて」という野球の楽しさを実感するためにはそれが必要なのだ、というのである。
「大谷といえば、プロ入り2年目の春、名護のキャンプで取材した時のことを思い出します」
と中村氏が続ける。
「あの時はマスコミも過熱気味で、1日最低1件、多い時には2~3件も取材が組まれ、同じことを何回も聞かれていました。加えて、ファンが押し寄せ、追っかけやサインねだりなんかもあったんです。過去にもそうした選手はいて、大抵は疲れて機嫌が悪くなったり、口数が重くなるもの。でも、大谷は常ににこやかな表情で取材に応じる。“疲れないの?”と尋ねたら“イラッときたら負けですから”と一言。プレースタイルも生き方も、常に苦悩や葛藤が表に出ませんよね」
また、昔のプロ野球選手といえば、「飲む、打つ、買う」の三冠王が当たり前の世界。しかし大谷には、その類(たぐい)のにおいも一切しない。
日ハム時代にも、身の回りのものに無頓着。いわゆるブランド品に興味がなく、高級服や高級時計、運転免許すら持っていなかった。入団初期は給料を親に預け、そこから月10万円の小遣いをもらっていたが、月1万円程度しか遣わないため、2年で200万円も貯金ができたとか。「飲んでて何が楽しいんですか。それなら練習して野球上手くなった方が格好いいじゃないですか」と周囲に言うほど、「飲み会」に行かないのは有名で、行っても付き合うのは乾杯まで。毎朝10時にトレーニングをするのが日課で、そこから逆算して部屋に戻っていたのだという。
「必死で2~3時間トレーニングしたのが、その一杯二杯で変わってしまうと思うと飲みに行けない」と過去のインタビューで答えたこともある。賭け事はもちろん、女性関係の噂が皆無だったのも周知の通りである。
これはメジャーに行っても同じで、免許こそ取ったものの、食事はグルテンフリー仕様に変え、より厳しく管理するように。べったりした人間関係を好まないのはいかにも現代っ子風で、
「我々の時代からしてみたら、まさに宇宙人ですよね」
と述べるのは、高校時代から大谷家と親交のある、さるプロ野球関係者。
「お父さんが、今シーズンが始まる前に“あまり無理しないように。怪我だけが心配だ”とメールを打ったんですが、未だに返信はないそうです。でも、お父さんにとってみれば、それは今年に限らず、もう慣れっこみたいですが」
昨年3月、大谷は少年時代に野球の相手をしてもらった祖父を亡くしているが、この時も、祖母のところにはあえて電話などはなかったという。現代っ子らしくドライなのか。いや、極限まで野球に集中しているがゆえのエピソードなのか。
[1/2ページ]