スカーレット・ヨハンソンがディズニーを提訴 映画関係者は「動画同時配信」をどう見ているか
何でもかんでもオンラインで事が済む。“便利”な世の中である。コロナ禍において、この傾向は一層強まっているが、その陰で失われていくものの価値を、果たして我々はどれだけ自覚できているだろうか――。ディズニーによる、映画の劇場公開と同時のネット配信。「映画館殺し」とも言える戦略に、ハリウッドの人気女優が声を上げた。
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「アベンジャーズ」などで知られるスカーレット・ヨハンソン(36)がディズニーに反撃提訴。今、このニュースに映画界が揺れている。
彼女が主演する注目作で、ディズニー傘下・マーベル製作の映画「ブラック・ウィドウ」は7月上旬から米国で公開が始まった。ところが同時にディズニーは、ストリーミングサービス「ディズニープラス」でも同作を配信。月額料金に加え約3300円の追加料金を払うことでネット観賞が可能となった。結果、興行収入は伸び悩み、ヨハンソンが反発したのだ。
「『ブラック・ウィドウ』の出演料は興行収入に基づいて算出される取り決めになっていて、同時配信の影響で映画館に足を運ぶ観客が減ったために出演料も抑えられてしまったと彼女は主張し、提訴したのです」(映画ライター)
映画館は社会である
確かに、劇場公開と同時に作品をネット配信すれば、わざわざ映画館に行かず、自宅で“手軽”に観賞しようとするムキが増えるのは当然と言えよう。畢竟(ひっきょう)、このディズニーの挙に苦虫を噛み潰しているのはヨハンソンだけでなく、
「映画館としては、同時配信は一種の“利敵行為”とさえ言えます。そのため、日本の大手映画配給会社は『ブラック・ウィドウ』を上映していない。ディズニーに対する事実上の対抗措置でしょう」(同)
「木枯し紋次郎」等の作品を手掛けた映画監督の中島貞夫氏も、
「困りましたね……」
として、こうこぼす。
「私を含め映画監督は皆、劇場という閉ざされた非日常的な空間で、大スクリーンと大音量で上映されることを前提に、0・5秒の余韻をどうするかといった細部にまでこだわって映画を作っている。日常空間である自宅で観ることを前提にはしていない。映画のこの本質が同時配信によって軽んじられはしまいか。そこに寂しさを覚えるのです」
映画評論家の北川れい子氏は、「観る側」の立場からこう嘆く。
「映画館で見知らぬ人と隣り合わせになり、感動を共有する。これが望ましい映画の観方だと私は思います。自分にとっては何でもないシーンで泣いている人がいる。このように他人のリアクションを見るのも、映画観賞のひとつの楽しさです。映画館に足を運ぶことは、社会に触れることでもあると思うんです」
そして放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏も、
「初デートで映画を観に行き、帰りにスタバに寄って感想を語り合い仲良くなる。そうした一体感が映画の良さですよね。それが、『うちに来て動画配信を観ない?』だと、いきなり家に誘ういやらしさが出ちゃって、怖がって女の子は付いていかないから恋愛に発展しない。少子化が加速しちゃうかも」
と、独特の言説で憂える。
三氏それぞれ視点こそ違うものの懸念は共通している。それは利便性云々(うんぬん)以前に大事なものがあるということ、すなわち「映画館文化」の尊さである。疫禍によってひとつの文化が破壊されてしまうとすれば……。その時こそ、我々がコロナに負けた瞬間であろう。