檀ふみが語る、父・檀一雄の遺品整理 1万冊の蔵書、美術品…整理するうちに気づいたこととは
「最後の無頼派」と呼ばれ、代表作『火宅の人』では、愛人との同棲や放浪の日々を描いた作家・檀一雄。長女である俳優の檀ふみさんは、自宅の建て替えを機に、父親の遺した荷物の整理を試みたそうだが……。いつしか、断捨離よりも大切なことに気づいたという。
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もともと生家のあった場所に、私が施主となって2番目の家を建てたのが20代半ばの頃。その後、2015年4月に母が亡くなり、わが家の土地が道路の拡幅計画に引っかかったこともあって、同じ場所に新しく3番目の家を建て直しました。引っ越したのは18年秋のことです。
小説『火宅の人』で知られる父・檀一雄は私が21歳の頃に63歳で亡くなりましたが、2番目の家に移り住んだ時は、その父の愛用品をはじめ、ほとんどの荷物をそのまま運び込んでいたんですね。でも、1万冊にのぼる父の蔵書や骨董品、美術品など、とにかく大量の荷物が家に溢れ返ることになったので、面積が半分ほどになる3番目の家を建てるにあたって整理することに。
ただ、実際に手をつけてみたら、出るわ、出るわ……。長いこと開かずの間だった屋根裏部屋などから、思いもしないような荷物が次々に出てきたのです。
もちろん、手放した物も少なくありません。たとえば、父がスペインで買ったリキュールを入れる小瓶。全面に革細工が施された凝った工芸品で、父のファンでもある知り合いのカメラマンの方に差し上げたら、「大事にします!」と仰ってくださいました。蓋の部分が壊れかけていたのも、早速修理してくださったとか。
量が多くて大変だったのは調理道具と食器類ですね。父は料理本を出版するほど料理が好きで、お客さまを招いてパーティーを開くのも大好きでした。無垢の木をくりぬいて作った1メートルほどの大きな鉢は、餃子の皮をこねたり、ちらし寿司を作るのに重宝しましたが、もう大人数の会合を開くこともないだろうと思い、古道具屋さんに引き取ってもらいました。他にも、同じ食器が30人分くらい揃っていて、さすがに捨てるしかないかな、と思案していたら、隣に暮らす兄が「あっ! おでんを食べる時に使ってた器だ」と懐かしがって、5人分だけ引き取ってくれました。父が使っていた巨大な寸胴鍋も処分したのですが、改めて考えてみたら、「タケノコを煮るのにちょうどよかったかも」と少し後悔したり。
荷物はなるべく処分するつもりでしたが、この辺りから雲行きが怪しくなっていきます(笑)。
対処に困ったといえば、やはり父の蔵書です。何しろ、2番目の家は1万冊の本を収めるために、廊下の壁一面を本棚にしたほど。わが家には貴重な書物がたくさん残っていると聞いていたのですが、古書に明るい知り合いに確認してもらうと、いまは新装版や復刻版が出ているのでそれほどの価値はないようでした。
結局、父と交友のあった作家の全集や、父への為書きがあったり、私がいつか読みたいと思う本以外は、古書店に引き取ってもらいましたね。そうそう、例外として辞典の類は手元に残しています。というのも、むかし母が「ありのすさびに憎かりき……」と呟いたことがあって、「なに、それ?」という話になり、一緒に戦前の名歌辞典を引いた覚えがあったからです。「源氏物語」に登場する〈ある時は ありのすさびに憎かりき なくてぞ人の恋しかりける〉という歌でした。大まかに訳すと、“生きているときは身近にいることで憎く思うこともあったけれど、亡くなってしまうと人は恋しくなるなぁ”といった内容。当時の母は、辞典でこの歌を引きながら父のことを思っていたのかしら(笑)。
一方、屋根裏部屋からは、古い足踏みミシンや重い火鉢など、“一体どうやって屋根裏まで運んだの?”と首を傾げるような物が見つかりました。母の着物類はほとんど着付けの先生に引き取ってもらいましたが、火鉢はいまも観葉植物を入れて飾っています。
それ以外にも、数の多さに驚かされたのは額に入った絵画や書の類です。美術的な価値がそれほどでもないものも、父は額装することが好きだったみたいで。家を建て直す際、引っ越し屋さんが「額類はこちらで梱包しますよ」と言ってくださったものの、廊下にずらっと隙間なく並べられている額を目にして「えっ、こんなにあるんですか……」とびっくり。急遽、応援を呼んでいましたね。本当は新しい家の納戸に、きれいに並べて収納するつもりでしたが、いまも段ボール箱に入れたまま積み上がっています。
さて、そんな屋根裏部屋で見つかったのが中国の切り絵でした。幼い頃、両親の寝室兼書斎に飾ってあったもので、「懐かしいな。でも、新しい家には合わないか」と思案しつつ、額の裏板を外してみました。すると、父の妹の寿美さんから、父に宛てた手紙が収められていて、〈素敵なコートを送ってくれてありがとう〉と書かれていました。寿美さんはバリバリの毛沢東派で知られ、長いこと中国で暮らしていました。その頃、父が中国にコートを送り、御礼として切り絵が届いたのでしょう。手紙を読んで父が妹想いの良き兄だったことが分かりました。自分たちの知らない父の姿を垣間見て、胸が熱くなりましたね。たぶん手紙を収めたのは母でしょうが、父の過去を知る手がかりを残してくれていたんだな、と。ちなみに、寿美さんは太宰治さんから想いを寄せられ、恋文をもらったこともあるそうです。
また、父が海外で購入した置物も多かったですね。スペイン土産の革製のサイとロバの置物は久々に見たらボロボロ。置く場所もないし、いっそのこと処分しようかと思いましたが、手にしてみたら可哀想に思えてきまして。そういえば、父がお酒を飲むときに傍らに置いたり、これをスケッチしていたこともあったな、と記憶が蘇ってきたんですね。その結果、二体ともわが家の玄関に飾ることに。それとなく撫で続けていたら、最近は艶が出てきたように感じます(笑)。
あと、手元に残したというより、怖くて手がつけられないのは、母親が生前に「大事なものが一切合切入っている」と話していた革製のトランクです。父の愛用品で、ローマ字表記で「DAN」と記されています。土地の権利書や手紙の束が入っているのだと思うのですが、昔の父はあちこちに借金を抱えていましたからね。母によれば、作家の丹羽文雄さんからお借りした数百円を返していないとか。当時の百円をいまの価値に換算すると……。借用書でも出てきたらと思うと恐ろしくて開けられません(笑)。
物に染みついた思い出
そんなこんなで、当初、想定していたような荷物の整理はできないままです。
そもそも、私たちの両親の世代は、物を捨てられずに溜め込みがちなんですよ。どちらのお宅でも実家の片づけはひと苦労だと伺っています。すべて捨てるか、すべて残すかのどちらかに決めてしまえば楽でしょう。捨てるか残すかを考えつつ整理するのが一番大変だし、時間もかかります。
私にはもはや、積極的に整理や処分を断行する気持ちはありません(笑)。たまに「何が出てくるかな」と段ボール箱を探ることくらいはあるかもしれませんけど。残された荷物をどうするかは、私より若い世代が決めればいいんじゃないかしら。甥や姪には父の記憶がないので、彼らが必要かどうかを判断してくれればいいかな、と。
若い頃の私は物欲も乏しく、物への執着が希薄でした。でも、そのことをノンフィクション作家の澤地久枝さんにお話ししたら、
「それは不幸なことね。物を大切にするのはとってもいいことなのよ」
澤地さんは旅先で買った物を小さな展覧会が開けるほどお持ちで、しかも、大切になさっている。いまは、澤地さんの言葉の意味が分かるような気がします。
身の回りの物をきれいさっぱり処分するのは気持ちがいいかもしれませんが、同時に思い出もなくなってしまうんじゃないかしら。物に染みついている思い出ってあると思うんです。
たとえば、自分にとって大切な人が亡くなって、その人が大切にしていた物が残される。それを目にした時、「あの人はどうしてこれを大切にしていたんだろうか」と思いを巡らせるきっかけになりますよね。
最近、長年の男友達が新型コロナウイルスに感染して亡くなりました。そのとき、彼の奥さまが形見として小さなクリスマスオーナメントを下さったんです。何でも、「いつも机に置いて大事にしていた」のだそう。いまはわが家のお手洗いに飾っていますが、“お堅い職業の重鎮だった彼が、どうしてこの小物を大切にしていたのかなぁ”って、いまでも不思議。目にするたびに彼を思い出しますね。
ご両親を亡くして実家を整理した友人は、結婚以来、お父様に宛てて書いた自分の手紙の束を見つけて「すごくいい時間だった」と話していました。
“断捨離”がブームになっている昨今。実家を整理するのはいいけれど、すべてを捨ててしまうのは「ちょっと待って」と申し上げたい。余裕があるなら、ゆっくりと時間をかけて物と向き合ってみてください。
私がこの間に実感したのは、人に対する記憶は頭のなかだけでなく、その人が愛用していた物にも宿っているということ。それを見て記憶が喚起され、父や母の思い出が蘇り、私のなかで生きていく――。
私の母親は晩年、認知症を患いました。そんな母がよく古いトランクを探っていたのを思い出します。私自身がそうなったときに、過ぎ去った日々の思い出が染みついた品を物色するのも悪くない気がします。