中田翔は巨人に放出…「無期限出場停止処分」を食らった選手やコーチがやったこと
日本ハムの主砲・中田翔が8月11日、チームメイトへの暴力行為で、球団から1、2軍全試合の無期限出場停止処分を受けた。さらに、同20日には「交換要員なし」で巨人にトレードされることが明らかになった。チーム関係者やファンのショックも大きいが、過去にも、さまざまな理由で無期限の出場停止や謹慎処分を受けた選手やコーチがいた。
右こぶしで首筋を殴打
プロ野球史上唯一の2年連続無期限出場停止になったのが、日本ハムの前身・東映の捕手で、“ケンカ八郎”の異名をとった山本八郎である。最初の事件が起きたのは、1958年5月10日の南海戦。6回、先頭打者の山本は遊ゴロで一塁アウトになったが、「一塁手の足がベースから離れていた」と激昂。角田隆良塁審を突き飛ばし、退場を宣告された。さらに一度ベンチに連れ戻されたあと、再び飛び出すと、角田塁審を押し倒し、スパイクで蹴飛ばした。
1回の三ゴロと併せて2度も“疑惑のジャッジ”でアウトになったことに怒りを爆発させたものだが、いかなる理由があっても、暴力は許されない。同12日、パ・リーグから無期限出場停止処分を受けた。
だが、暴れん坊ながら、毎年好成績を残す山本は人気者だった。処分期間短縮を要望するファンの署名が2万人に達したことを受け、6月23日、処分が解除された。ファンのありがたさが身に沁みたはずだ。
ところが、山本は性懲りもなく、翌年5月30日の近鉄戦で再び事件を起こす。1回、三塁走者の山本は一塁走者と重盗を試みたが、明らかにアウトのタイミングにもかかわらず、スパイクを上げながら強烈なスライディング。捕手・加藤昌利の左手首から上腕にかけて裂傷を負わせた。
加藤が文句を言うと、山本はいきなり右こぶしで首筋を殴打。当初、球団は選手間のトラブルとして厳重戒告で済ませる方針だったが、その後、山本が1週間前にも宿舎でチームメイトに暴行していたことが判明すると、6月1日、自主的に無期限出場停止を発表。パ・リーグも同3日、近鉄の提訴を受け、無期限出場停止処分を決定した
2年連続ともなると、前回のように1ヵ月半で解除というわけにはいかず、処分が解かれたのは、約3ヵ月後の8月31日。今ならもっと厳しい処分になっていたことだろう。
「暴力団相手とはできない」
2人のコーチが暴力行為で無期限出場停止になる“横浜スタジアム審判集団暴行事件”が起きたのが、82年8月31日の大洋vs阪神だ。7回、阪神は先頭の藤田平が三塁前に飛球を打ち上げたが、石橋貢が目測を誤り、捕球に失敗。打球はフェアグラウンドに落ちたあと、ファウルグラウンドに転がった。
打球が石橋の体に触れていないとみた鷲谷亘塁審はファウルと判定したものの、阪神側は「グラブに触れた」と主張し、三塁付近でもみ合いになった。直後、鷲谷塁審は、島野育夫コーチから胸を2、3発殴られ、その場にうずくまった。岡田功球審が退場を宣告すると、柴田猛コーチが襲いかかり、殴る蹴るの暴行。急所を蹴られ、胸を殴打された岡田球審は「暴力団相手とはできない」とプロテクターを叩きつけ、全審判を引き揚げさせた。
この日は4回にボーク判定をめぐるトラブルもあり、相次ぐ不利な判定に両コーチとも理性を失ってしまったようだが、明らかに“乱闘”の域を超えていた。所轄の加賀町署も傷害事件として取り調べを行い、横浜地方検察庁は9月29日、2人を略式起訴した。
下田武三コミッショナーの勧告を受けたセ・リーグは、両コーチを無期限出場停止としたが、翌年3月、2人が十分反省したことを理由に処分解除。コーチ復帰が認められた。前出の山本が起こした事件から20年以上経っていたが、まだ大らかさを残した時代だった。
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