ゼロから作り上げた「小さくて強い農業」の極意――久松達央(久松農園代表取締役)【佐藤優の頂上対決】

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持続可能な農業とは何か

佐藤 私は、久松さんのような農業者が、茨城から出てきたのが面白いと思うのです。戦前の右翼の思想家に、権藤成卿(ごんどうせいきょう)という人がいました。血盟団事件や五・一五事件に影響を与えた人ですが、彼は「社稷(しゃしょく)自治」を説くんですね。国家以前にあったのは「社稷」で、「社」は大地、「稷」は穀物、つまり食物を指す。その土地ごとに主食たる穀物は違うので社稷はそれぞれですが、そのネットワークが日本だと位置づけるんです。その彼が、常陸と信濃の農業を押さえれば、この国は全部押さえることができると言っている。

久松 それはこの地の自然環境が豊かで、国力があるという話ですよね。確かに茨城県は何を植えても育ちます。でも土地の力が豊かだと、農家はあまり農業のことを考えないんですよ。

佐藤 なるほど、そういう面はあるかもしれない。

久松 最近、僕が考えるのは、そうしたこの土地のインフラがどのようにできてきたかということです。やはり江戸時代の新田開発あたりまで遡るのでしょうが、ここで300年、400年続けられる農業が、いかなる思想のもとに、どんな形で開発されてきたかをきちんととらえたい。土地が豊かだとしても、誰がやっても農業が成り立つインフラと手法をどのように確立したか、そこはとても重要だと思うのです。

佐藤 それはゼロから農業を始めた人ならではの視点ですね。権藤成卿は『君民共治論』という本の中で、信濃の農民と対話しています。困窮した農民が、国が悪い、軍人に国を治めさせろと怒っている。これに対して「お前らがダメになったのは蚕に手を出したからだ。絹が金になると思って蚕を飼い始めた。だから国際市場の暴落の影響を受けた。伝統通り野菜を作っていれば、こうはならなかった」と言うんですね。1930年代の話です。

久松 当時すでにグローバル化の問題があった。農業はグローバル経済と切り離せということですね。

佐藤 権藤は、官僚は不要で、社稷のネットワークで天皇とつながればうまくいくという思想なので、これに続けて政府や軍人に頼ったらダメだと説くのです。

久松 この規模の農業だと、グローバル化に組み込まれないことは非常に重要です。やはり農業も海外と張り合うと、底なしの価格競争になってしまうんですね。しかもこの10年、資本やテクノロジーが農業に入ってくるのが顕著になってきた。

佐藤 そうなると、当然、価格競争になる。

久松 ある種の品目は、隔離培地といって、土を使わない農業もあります。温度変化の少ない大型のビニールハウスの中で、ロックウールなどの人工的な培地とチューブで与える水と肥料で生育を完全にコントロールできます。ただ設備のイニシャルコスト(初期投資)がものすごくかかる。だから、それに見合うだけの収量が採れる品目しか作れません。

佐藤 例えば、どんなものですか。

久松 トマトとかパプリカとかイチゴなどですね。

佐藤 一種の工場になるのですね。

久松 他にも資本とテクノロジーを投入すれば、ハウスでの葉っぱものの高回転栽培や、ほぼ機械化できるジャガイモやニンジンなどは、かなりのスケールで生産できます。どんなに質を追求しても、そうしたところを相手に、野菜一つひとつ、単体のガチンコ勝負では勝てるわけがない。だから年間100種類を作って、その品揃えの中で成立する農業をするのです。

佐藤 つまりポートフォリオ(リスク分散の組み合わせ)を組んで勝負する。

久松 まさにポートフォリオですね。そのポートフォリオでやっていこうという農家が少ないのは、このやり方では規模を大きくすることができないからです。量は追えないので、小さくても強い経営をしないといけません。でもそれは僕のやっている農業だけではなくて、日本の農業の技術自体、夫婦二人でやるようにできているものが多いんですよ。

佐藤 面白いですね。農業技術が農業形態を決めている。

久松 農地解放で増やした小農に合わせた技術しか開発されなかったとも言えます。典型的なものは果樹で、ミカンの木は、素人ではできない難しい剪定を夫婦二人でやって、木を30年持たせようとするんです。そして普段は夫婦で、収穫の時だけ人を雇うというモデルになっている。狭い面積の中で長く食べていく栽培技術になっているので、雇用型の経営にはなりにくいんです。

分身のネットワーク

佐藤 ただ久松さんは人を雇って経営されていますね。

久松 妻は別に仕事を持っているので、7年目に住み込みの研修生を受け入れるまでは一人でした。その後は、だいたい常時3、4名はいます。ただ規模を大きくすることができませんから、どこかで出ていってもらわないといけない。その制約の中で何ができるかというと、分身を作ることなんです。

佐藤 分身を独立させていく。

久松 ええ、これまでに延べ10人独立させました。有機をやっていない人もいますが、美味しい野菜がどういうものかは、みなわかっています。

佐藤 独立してこの近所でやっているのですか。

久松 すぐ近くもいますが、群馬、長野、山梨と、あちこちです。全国には、品目横断的な優れた農家のゆるやかなネットワークがあります。そこは寡占化されていない小さな業界の面白さで、結構教え合う文化があるんです。有機農業者もいいコミュニティを形成しています。僕はこのコミュニティが、有機農業の一番の財産だと思っています。僕のところで仕事をすれば、このコミュニティにアクセスできるようになりますから、農業志願者にとって久松農園がポータルサイトみたいになればいいと思っています。

佐藤 ただ丁寧に教えて、仕事ができるようになると独立してしまうのでは、久松さんが困りませんか。

久松 それに悩んだ時期もありましたが、そもそも年功序列で給与を上げることができませんし、長くいてもらうのは無理なのです。もちろん打率10割ではありませんが、いい関係を構築できれば、外に出てもチームでい続けられます。ネットワークができる。それぞれ得意な分野があり、それを深掘りして専門分野ができる人もいますから、それを教えてもらったり、その資産をチームで使えるようにもなる。だから外にデータベースができたと考えればいい。

佐藤 蕎麦屋の長寿庵とか砂場が暖簾分けする感じですね。

久松 ラーメン二郎とかね。農業は経営規模が小さいので、農協を除けば、サポートビジネスが非常に少ない。その点は、ここを経由して独立すれば、やり方はわかります。

佐藤 皆さん、何年くらいで独立していくのですか。

久松 だいたい3年から6年で入れ替わる感じですね。採用は何カ月か一緒に働いて決めるのですが、1年前、社員を採った際に、30代と20代の社員が「こいつ、いい」と同じ評価をしたんですよ。その時、この農園には何が合うかが共有されてきた、つまりは一つの文化ができてきた気がして嬉しかったですね。

佐藤 それは、独立していった人たちのグループのカラーにもなっていくと思いますが、そのグループはどのようなものにしていきたいですか。

久松 そんなに大きなものにする気はないんです。うちの近くでやる人が出てきたので、少しは分業できる可能性がありますし、機械の貸し借りもできる。販路でも協力できるかもしれない。だから1千万円くらいの売り上げの農家をいくつか束ねて、1億5千万円くらいのグループにすることは、たぶんできます。

佐藤 ミニ農協になる。

久松 ただそれを、自分から積極的にやりたいとは、あまり思わない。性分がわがままなので。やりたいという人が出てきたら、その人にやってもらえばいい。一方で、自分で独自にやりたい人は、それぞれやっていけばいい。品種の選び方や美味しい品種の見抜き方はみっちり仕込んでいますから、それをベースに、おのおの美しいと考えるものを形にしていけばいいと思っています。

佐藤 たぶん久松さんには、緩やかな関係が一番性に合っているんでしょうね。

久松 その通りです。だから農業全体をどうこうしようとは考えていません。農協は農協でしっかりやってほしいんですよ。安定した価格と品質の農産物を市場に出す必要は絶対にありますから。一方で、この農園のように、生き物の仕組みを生かすことを美しいと考える農業者が増えていくことも大切です。農業は画一的にならないほうがいい。グループも、緩やかなつながりの中でこれまでにない面白い試みができればいいと思っています。

久松達央(ひさまつたつおう) 久松農園代表取締役
1970年茨城県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、帝人を経て、99年に茨城県土浦市で就農。年間100種類の野菜を有機栽培し、個人や飲食店に直接販売、補助金や組織に頼らない「小さくて強い農業」を模索する。他農場の経営サポートた自治体と連携した人材育成も行う。著書に『キレイゴトぬきの農業論』『小さくても強い農業をつくる』。

週刊新潮 2021年8月12・19日号掲載

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