ゼロから作り上げた「小さくて強い農業」の極意――久松達央(久松農園代表取締役)【佐藤優の頂上対決】

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 年間約100種類の野菜を有機農法・露地栽培で育て、旬のものだけを個人宅へ定期的に届ける久松農園。すでに10人が独立し、緩やかなネットワークを築いているという。最新テクノロジーを実装する大資本も参入する中、個人からでも始められる持続可能で強い農業はいかに編み出されたか。

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佐藤 久松さんは「小さくて強い農業」を掲げて、独自の農業経営を行っていらっしゃいます。茨城県で多品目の野菜を露地で、有機農法によって栽培され、それを都市部に直販で届けるモデルを作り上げました。

久松 農業を始めて21年ですが、もちろん最初から「小さくて強い農業」という明確な形があったわけではありません。10年くらい経って振り返ってみると、そう定義できたということですね。そうした持続可能な形ができるまで、想定していたよりずいぶん時間がかかりましたし、どこにも所属せずに始めることのハードルもかなり高かったですね。やはりインフラを作るのに、とても時間とお金がかかりました。

佐藤 「野菜定期便」という形で、個人宅やレストランに旬の野菜を届けておられますが、いまどのくらいの数になりますか。

久松 送料込みで3500円前後の野菜の詰め合わせを、月に千~1200箱お届けしています。ただレストランは、コロナでほぼなくなりましたね。

佐藤 やはりそうですか。

久松 レストランは、東日本大震災の後から始めました。それまで個人ばかりでしたが、放射能騒ぎでかなり減ってしまった。そこで慌てて飲食店に販路を広げたのです。一時は30%くらい飲食店向けになったのですが、いまは5%くらいですね。

佐藤 コロナも震災も、いかんともし難い外部要因です。

久松 10年でまた元に戻った。商売は難しいな、と改めて思いました。

佐藤 ただ個人のお客さんは安定しています。もう久松さんの有機野菜がデフォルトになっているということでしょうね。

久松 定期便の契約世帯は約330世帯です。平均で2週に1回お届けしています。加えて、その1割くらいの単発の注文が入る。

佐藤 いわば野菜のサブスク販売で、時代にマッチしています。

久松 栽培している約100品目の野菜の中から、旬のものだけを詰め合わせてお届けしています。季節ごとに野菜が移り変わっていきますから、それを楽しんでいただきたい。一つの野菜を選ぶのではなく、ここの畑から取れたものを、年間を通じて味わっていただく。だからオーナー制の畑みたいなものとも言えます。

佐藤 毎回違うものが届くのは楽しいし、季節を感じることもできる。また、自分で選ぶのにもう疲れてしまっている人も多いのでしょうね。

久松 そうした面もあるかもしれません。

佐藤 ワイン選びにソムリエがいるのと同じで、野菜の目利きが作ったものを選んで送ってくる、しかもビジネスとしてやっているという安心感があります。

久松 いま私のところで、年間の売り上げが5千万円くらいです。農業としては中規模に分類されます。農家数は103万戸ほどですが、その中で1千万円以上の売り上げがあるのは、12%しかありません。半数が300万円以下です。

佐藤 食べていくのが、やっとというレベルですね。

久松 それを考えると、やはり農協を中心とした仕組みはよくできていると思いますよ。経営規模が小さい農家でも、きちんと販路があり、その流通システムもありますから。

佐藤 農協の中でなら、どんな農家でもある程度は稼ぐことができる。

久松 そこから抜け出て、あるいは最初から頼りにせずにやろうとすると、農業は非常に困難な道になります。だからなかなか後進が育たない。

佐藤 そもそも農業は、我々作家の世界と似ていて、テクネ(技術)だけではなく、創造性という点でアートの要素があるでしょう。特に久松さんのように、どの野菜を栽培し、どんな組み合わせで送るのか、どんな人脈を構築するかなどは、真似できません。

久松 なるほど。それはすでに、スタート時点で決まっているのかもしれませんね。ただ僕の場合は、自分が作りたいものを作って、それを食べてくれるお客さんを探すというだけのことです。

生き物の仕組みを生かす

佐藤 久松さんは大手繊維メーカーの帝人にいらした。大企業を辞めて農業を始めるのは、かなり大きな決断だったのではありませんか。

久松 29歳の時、4年半勤めた帝人を辞めました。両親は猛反対でしたね。大学は経済学部ですが、高校3年まで理系だったこともあり、モノを作る現場の仕事がしたかったんです。会社では素材を作って、その素材の力でさまざまな問題を解決していくような部署に配属してもらったのですが、ずっとサラリーマンをしていくことに面白味を感じられなかった。だからサラリーマン時代も、出張の隙間を縫って、農業の現場を見に行っていました。

佐藤 どうして農業なのですか。

久松 自分で食べるものを自分の手で作って、それで生計を立てたいという思いはずっとありました。ちょうど1990年代の半ばに環境問題への意識が非常に高まったことがあったでしょう。僕は学生時代から環境問題には関心があって、それが農業に結びついた。

佐藤 だから有機農業なんですね。

久松 僕は有機農業第1世代と言われる方々に、直接薫陶を受けた最後の世代です。90年代の終わりは、まだ有機の農産品を市場でほとんど扱ってくれなかった。だから直接お客さんをつかまえて販売する古い産直運動があり、その終わり頃に農業を始めたことになります。

佐藤 有機農業を実践し、普及させた一人には、私の母校・同志社大学の先輩である藤本敏夫さんがいます。歌手の加藤登紀子さんのご主人として有名ですが。

久松 「大地を守る会」の創設者の一人ですね。

佐藤 全共闘運動の頃、ある種の理想を持っていた人たちの一部が、運動の限界に達したところで、農業に向かいました。一方で、ヤマギシ会のような農業コミューンにも吸収されていった。有機農業はそうした動きと密接な関係がありますが、『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書)を読むと、久松さんは、旧来のイデオロギー型有機農業でもないし、自己啓発的なカルト的なものでもない。有機農業に対して非常に客観的でフェアなスタンスをとられていますね。

久松 有機農業が始まった頃は、農薬の使い方が雑であるなど、慣行農業にはさまざまな問題がありました。第1世代はそこを批判、攻撃することで有機農業を普及させていきましたが、農業全体はその批判を取り入れ、どんどん進化してきたんですね。残留性の高い農薬や毒性の強い農薬への規制が厳しくなり、メーカー側もそれに合わせて低残留、弱毒の農薬を開発してきました。だから僕が始めた時には、もう彼らの批判は成り立たなくなっていました。

佐藤 有吉佐和子『複合汚染』の時代とは大きく違う。

久松 僕が教わった人たちは、『複合汚染』やレイチェル・カーソンに完全に染まっていた人たちですね。

佐藤 『沈黙の春』ですね。

久松 有機農業には三つの神話があります。「有機だから安全」「有機だから美味しい」、そして「有機だから環境にいい」。もちろん有機農産物は安全です。でもいまは適正に農薬を使った普通の農産物と同じ程度に安全なのです。また、美味しさを決めるのは、鮮度と時期と品種です。有機だからではない。そもそも野菜の原産地は外国がほとんどで、それを日本で無理やり栽培していることを忘れてはいけない。

佐藤 確かに、トマトだってキャベツだってもともとは外来種です。

久松 環境にいいというのも大雑把すぎます。有機農法で除草剤の代わりに使うものが、二酸化炭素を出して作られていたりする。生き物への影響は少なくても、他の部分で環境にやさしいとは一概には言えません。

佐藤 そうすると久松さんは、有機農業を行う意味合いをどこに見出しているのでしょうか。

久松 僕は有機農業を「生き物の仕組みを生かす農業」と定義しています。自然の仕組みにできるだけ逆らわず、土の中の微生物の力を生かすことを重視します。それによって、その個体が生まれ持っている力を最も発揮できている野菜を作る。そこに価値があると考えています。

佐藤 それが久松さんの言う「健康な野菜」ですね。

久松 その通りです。農作物を健康に育てるためには、畑の生き物を多様に保つのが近道です。つまり土の中の微生物の数や種類を増やす。淘汰されてしまう個体も出ますが、収穫まで生き延びた野菜たちは力強い。

佐藤 それには、農薬は余計なものでしかない。

久松 生育環境にしても、乾湿の差があったほうがいいし、pHの高い状態と低い状態が混在したほうがいい。さらにはそれが一年の中で、あるいは一日の中で変化したほうがいいのです。時間軸や空間軸でバラついた多様な状態が生まれると、野菜が強く育つ環境になります。

佐藤 そうした視点には、やはりアートの要素がありますね。

久松 多様性の中で育てることを「美しい」と思うのが、有機農業の価値観です。だから、まあ、マネジメントはしにくいですよね(笑)。

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