大谷翔平、ダルビッシュ有が負けた…「高校最後の夏」スター選手に黒星をつけた男たち
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、2年ぶりの開催となる夏の甲子園。甲子園大会と地方予選を含めて、長い歴史を振り返ると、幾多の名勝負が繰り広げられてきた。そのなかでも、メジャーリーグやプロ野球で活躍するスター選手を倒した選手を覚えているだろうか。今回は、大谷翔平(エンゼルス)、ダルビッシュ有(パドレス)、そして涌井秀章(楽天)の「高校最後の夏」に黒星をつけた男たちを振り返ってみたい。
勝敗を分けた二橋の一発
2012年、高校最後の夏に東北から初の日本一を目指した花巻東時代の大谷翔平は、岩手大会決勝で盛岡大付に3対5で敗れた。“未来のメジャーリーガー”の夢を打ち砕いたのは、盛岡大付の4番・二橋大地のバットだった。
準決勝の一関学院戦では、当時、高校野球史上最速の「夢の160キロ」を実現した大谷だったが、この日は、低めの制球に苦しみ、2回に8番打者に先制タイムリーを許す。
盛岡大付の各打者は「大谷を打ち込まないと甲子園はない」を合言葉に、バッティングマシンを150キロに設定。10メートルの至近距離から速球対策の特訓を積んでいた。主砲・二橋のバットが火を噴いたのは、1対0の3回だった。
1死一、二塁のチャンスで、打席に立った二橋は、大谷の148キロ直球が外角やや高めに入るところを見逃さずにとらえ、左翼ポール際に運んだ。ポール付近にいた観客は「ファウル」のゼスチャーを見せたが、三塁塁審の判定は「ホームラン」だった。
花巻東側は3度にわたって抗議するも、判定は覆らず、スリーランホームランとなった。花巻東は5回に1点を返し、9回にも大谷のタイムリーなどで2点を挙げたが、反撃もここまで。結果的に二橋の一発が勝敗を分けた。
しかし、甲子園に乗り込んだ盛岡大付は、初戦で逆転負けを喫してしまう。さらに、閉会式では、高野連の奥島孝康会長が「とりわけ残念だったのは、花巻東の大谷投手をこの甲子園で見られなかったこと」と発言するなど、地元ファンに“疑惑のスリーラン”と非難されたことと併せて、悔しい思いを味わった。二橋はその後、東日本国際大の4番を経て、現在も三菱重工Eastでプレーを続けている。
「初球を狙っていけ」
続いて紹介する選手は、04年に優勝候補だった東北高のダルビッシュ有から決勝打を放った千葉経大付の背番号14・河野祥康だ。
ベスト8進出をかけた3回戦、雨が降りしきるなか、ダルビッシュは8回まで5安打無失点に抑え、1対0とリードした9回表も2死三塁と、勝利まであと一人となった。だが、次打者を三ゴロに打ち取り、ゲームセットと思われた直後、三塁手がまさかの一塁悪送球。1対1の同点となり、延長戦にもつれ込んだ。
土壇場で息を吹き返した千葉経大付は、10回も2死二塁のチャンス。この場面で、9回から一塁守備に就いた河野に打順が回ってきた。本人は代打を出されると思っていたが、「控えの選手が順番をずっと待って耐えてきた」とその心中を理解していた松本吉啓監督は「初球を狙っていけ」とそのまま打席に送り出した。
監督の指示どおり、ダルビッシュの初球、外角直球に無心でバットを出すと、ピッチャー返しの打球が二遊間を抜け、二塁走者が決勝のホームを踏んだ。河野にとって、これが公式戦初安打だった。
その裏、エース・松本啓二朗(元DeNA)が最後の打者・ダルビッシュを見逃し三振に打ち取り、劇的な勝利を飾った。「技術より気持ちで打った。みんなの期待が伝わってきて、それで打てた」という守備要員の執念が、「雲の上の存在」だった大会ナンバーワン投手をマウンドに沈めた。
高校最後の夏に「最高の思い出」を味わった河野は卒業後、父と同じ警察官の道を歩み、警視庁の野球チームでも4年間プレーしている。
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