23区の工場島になぜラブホテルが? テレ東・名物ディレクターが訪ねてみると――

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何もしていないと怪しまれてしまう島

 山本が吸ったこのあたりの夜中の空気を吸いたくて、夜中に島を訪れたこともある。シンとした空気が張り詰めていた。島民はほぼ従業員しかいないので、工場の警備員には若干怪しまれた。別に何をすることがあるわけではない。釣り道具でも持ってきていれば合点がいくのだろうが、何もしていないということが、めちゃくちゃ怪しいのだろう。

 きょうも別に何かすることがあるわけではない。

 だが、何もせずじっとしていると、そうしなければ見えなかったものが見えてくる。入道雲をずっと見ていると、その動きが見えることに気づく。普段は感知し得ない、かすかな動きが見えるのだ。

 次第に育つ入道雲が、どこまで大きくなるかずっと見ていたかったが、

「ぴんぽんぱんぽーん」

 チャイムが鳴った。続々とヤマハのマリンクラブに船が帰ってくる。気づけば3時をまわっていた。とはいえ腹が減ったので、マリンクラブのレストランに行くことにした。
 
 マリンクラブには、島で唯一のレストランがある。たしかコーヒーやパスタが食べられ……。

「CLOSE!」

 まさかのクローズの看板。

「いまはコロナで……。あちらの席、座っていただいて大丈夫ですよ」

 受付のお姉さんが、建物敷地内にあるテラスを案内してくれた。茶で一服する。テラスからは、ちょうど次々帰ってくるボートを「逆凹型」のクレーンがつりあげる迫力の光景が見られた。

ぼーっとすることで気づいた「心のプリズム」

 すると、ふと思う。工場に勤め、この島に住める従業員も特権階級だ。そんなに高層のマンションではないが、東京側の岸辺には低い建物が多く、さらに海抜も低いため、位置関係を考えるとおそらく東京を一望でき、ひょっとしたらスカイツリービューなのではないかと思う。うらやましい。

 ボートを持って海原へ駆け出すことのできる人も特権階級だ。かつて山本周五郎が「べか船」で、もやもやしながら江戸川を下って訪れた「沖の百万坪」でした「『若きウェルテルの悩み』を優雅に読むプレイ」をし放題ではないかと思う。うらやましい。

 いや、いまはそのあたりは埋め立てられてディズニーランドだ。だから、「沖の百万坪」プレイは無理だ。一切悩みのなさそうなカップルだらけだ。

 なんとか溜飲を下げる。いや、でもこの気持ちはウソだ。本当は、自分はやはりボートが欲しい。ついでに、東京ディズニーランドも行きたいはずだ。

 入道雲を数十分ぼーっと見続け、そのわずかな動きを視認し続けた直後の感知能力は、最高レベルにまで達していた。どうしても人間は、外部からの刺激を感知する際、プリズムを通してしまう。

 到底無理そうなもの、実現に苦痛をともないそうなもの、失敗した際に嘲笑されそうなもの。たとえばそうしたものに、無意識にネガティブな価値判断をくだしかねない。

 この心のプリズムは、日々あわただしく生きていると、その存在に気付かず、プリズムを経て感知した感情が、すなわち自分の気持ちだと錯覚してしまう。

 そのプリズムに気づくには、極限まで感知能力を高めなければならないのだろう。入道雲の動きを視認しようとした集中力の高まりの余韻が、すんでのところで、『若きウェルテルの悩み』より、やはりディズニーランドに行きたい自分、そして本当のところ、加山雄三に憧れていた自分を、認知させてくれた。

ずっと気になっていたラブホテルへ

「青べか船」のように、ボートを買えば、より行動範囲は広がる。建物の中に売り出し中の中古ボートのチラシが貼ってあったのを思い出した。

 じっくり見定めると、一番安いボートで、

「319万円 ※諸経費別途」

 失意のうちに、建物を後にした。

 だが、自分の意識をプリズムを排除して、極限まで繊細に観察した結果、一つの大切なことを思い出した。自分はこの島に何度もきているのに、もっとも気になることから目を背けていたのだ。

 そう。ラブホテルだ。

 ボートクラブを出たその足で、一目散にラブホテルへと向かった。だが、やはり一人で入る勇気がなかなか出なかった。なので、まず電話をすることにした。

「すみません。あの、すぐ近くにいまして、一人で休憩してもいいですか?」

「え?」

 一拍戸惑いの間があった後、

「ああ、大丈夫ですよ」

 感じのいい声で、女性が承諾してくれた。気になればなんでも試してみる。そうやって生きてきたはずだ。だが、妙見島にきて、このラブホテルだけを避けてきた理由はなんだったのか。そこに、なんらかのプリズムがあることだけは確かだ。

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