23区の工場島になぜラブホテルが? テレ東・名物ディレクターが訪ねてみると――
工場島に建つラブホテル
テレビ東京ディレクターで、「家、ついて行ってイイですか?」などの人気番組を手掛ける高橋弘樹さん。そんな高橋さんが10年以上にわたって関心を寄せ、取材してきたのが、東京23区内にある「島」だ。都心から電車ですぐの距離にひっそりと存在する島たち――その不思議な魅力を紹介したのが『都会の異界 東京23区の島に暮らす』(産業編集センター)である。江戸川区の工場島・妙見島に建つラブホテルを訪れた高橋さんが出会ったものとは――。
(『都会の異界 東京23区の島に暮らす』より抜粋)
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「苦しみ働け、常に苦しみつつ常に希望を抱け、永久の定住を望むな、この世は巡礼である」
山本周五郎の日記に引用されている、ストリンドベリイの一節の意味を、妙見島を訪れた帰りに立ち寄った、江戸川区の船堀にある「あけぼの湯」でずっと考えた。
山本周五郎は、『青べか物語』や『季節のない街』など、市井を生きる庶民を緻密な取材と、実際の生活体験をもとに描いた作家だ。この日記は、昭和3年から4年にかけ、山本がまだ売れる前、完全な私記として記し、死後『青べか日記』と題されて公表されたものだ。山本は、すでに鬼籍に入っていたこのスウェーデンの劇作家の言葉を自らになげかけ、彼を「友」と呼び、「主」と呼びながら、誰に見せるためでもなく、この日記を綴った。
「予は貴方を礼拝しつつ巡礼を続けよう」
山本にとってのストリンドベリイが、私にとってはつい先ほどまで訪れていた、妙見島であった。
めずらしく雨の続く5月の晴れ間、わたしは久しぶりに、妙見島をおとずれた。旧江戸川の中州にして、東京都の葛西と、千葉県の浦安の境目にあるこの島は、かつては船でしか渡れなかったが、いまは浦安橋の中ほどにある進入路から島へ入ることができる。
この日、島の気持ちのいい堤防で、対岸の浦安市・当代島を、ただぼんやり眺めていた。はるか地平には入道雲がわきあがろうとしていた。
妙見島には、何度も来たことがある。
東京側から浦安橋を歩いて島に入ると、一瞬で空気がかわる。島の入口は、橋に覆われて薄暗く、圧倒的異界感がただよう。ゴミ箱と化した放置自転車が心をざわつかせ、頭上の橋をつたう鉄管から滴る水滴が顔に直撃し、ひやりとする。
橋をはさんで島の下流側には「西野屋」と書かれた船宿と、「ルナ」というレジャーホテルがある。
橋をはさんで上流側が、島のほとんどを占める。島はほぼ工場で占められていて、観光するために来るような場所ではない。島の中部は産廃処理工場と、道路などにつかうアスファルト混合物、アスコンの中間処理工場で二分されている。アスコンの生成過程では、廃材を破砕するなどした大量の砂を使うため、島内の道路は砂だらけ。廃材を運ぶトラックが走るたび、砂埃が舞い上がる。廃材は、そのまま運べば運ぶだけ、輸送コストがかかる。破砕や中間処理をして再利用するものと処理するものに分けたほうが効率的だ。都内にありながら、音や多少の砂埃は気にならない島は、うってつけの立地なのだろう。道路には約20メートルおきに「立小便厳禁」の文字。そのあまりの念のおしようが、心をざわつかせる。
妙見島の風景
だが、島の東岸は別世界だ。うってかわってリゾートアイランドのように感じるのは、ヤマハの会員制マリンクラブの存在に依るところが大きい。まっしろのボートとヤシの木が、ここが江戸川区であることを忘れさせる。
その奥、上流側のどんつきは、プチ軍艦島ゾーン。太陽光を力強く跳ね返すシルバーのタンクが要塞のようにそびえ立ち、なかなか工場萌え要素の強いエリアだ。これは月島食品工業のマーガリン工場で、道路をまたいで岸壁へ鉄管パイプがのびており、その先端は停泊している船につながれていた。船から直接原材料をタンクへ陸揚げできるようになっている。島の地の利を生かしたプラント設計といえる。
この島の上流側には、団地のような建物が、いくつかある。島の工場には寮が併設されていて、従業員が住んでいるのだ。きょうは日曜なので、島を歩くと自転車にのった島民が、ぽつぽつと本土へと続く橋に吸い込まれていく。妙見島に住もうと思ったら、これらの工場の従業員になるしか方法はほぼない。妙見島に暮らせる特権階級だ。
この住宅地の横には妙見神社という小さな神社がある。これが島名の由来だ。工場島らしく武骨に、サントリーの「白角水割」と、ワンカップの「高清水」が供えられており、いまだこの工場群の住民から大切にされていることがうかがえる。古くは中世にこの地をおさめた千葉氏が信仰したというが、妙見とは北極星のことをさし、不動の北極星を目印に、船をあやつる漁師の間にも広く妙見信仰がある。この妙見島の対岸・当代島はかつて漁師町であり、いまでも「焼きあさり」と書かれた店や、船宿が何軒も建ち並んでいるのだが、神社でお参りをすませ辿りついたのが、その当代島を一望できる堤防だった。
堤防で、目の前を通り過ぎる船をずっと眺めていた。とくにやることがあるわけでもない。この地を訪れるのは、自分にとって一種の巡礼だった。
山本周五郎の小説に登場する妙見島
山本周五郎の『青べか日記』は、対岸の浦安・当代島近辺で暮らした20代の頃の生活が描かれている。「青べか」とは、青く塗った薄板で作られた一人用の船のことだ。山本は売れる前、自らの意思で東京から鄙びた漁村・浦安に引っ越したのだ。
ままならない作家生活の中、食べるものに困り、蔵書を売るような生活。そんな山本の心の支えは、亡くなった初恋の人・静子と、目下恋心を寄せている末子だった。
「末子よ、良い夢が君を護るように。静子よ、私の眠りを守っておくれ」
初期の日記には、毎晩のようにそういった趣旨の祈りが記されている。だが途中から、どうやら末子との関係は成就しそうにないと悟り始める。
いよいよ蔵書も売り尽くし、米を炊くこともままならない。創作活動に重きを置いたため勤務態度が良好ではなかった出版社も解雇され、それでも創作活動は遅々としてすすまない。ようやく仕上げた渾身の一作を出版社に持ち込むも、あっさりと退けられる。川で自ら採った鮒を煮、どじょうを汁にする生活。
追い詰められた山本の日記に次第に登場するようになるのが妙見島だ。
行き詰まり、心が塞がった日に、妙見島へ渡り、つくしんぼを摘む。コンテ画を描く。ただ枯草の上に寝そべって温かい陽を身に浴びる。
何をするでもない。ただそれだけだ。そうしたからといって、塞いだ心が晴れるわけでもない。それでもただただ、妙見島に渡る。
そうして明け方の4時、6時に眠りにつく。
「金が欲しい」
と繰り返し書き付け、
「ごくろうさま、三十六。よい夢が訪れるよう」
と繰り返し自分を鼓舞し続ける。三十六とは山本の本名だ。公表することを予定して書かれた日記ではないので、そこにぶつけられた感情は鮮烈だ。
恋心を抱いていた女性と縁が切れ、勤めていた会社もクビになり、全てをかけた原稿も退けられた。
そんな山本が、ただはっきりとした目的もなく繰り返し訪れたのが、この妙見島なのだ。
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