松坂大輔が呼んだ奇跡も…「夏の甲子園」で起きた“伝説の3大逆転劇”
流れを変えた温情采配
大差リードを終盤にひっくり返す大逆転劇は、野球の最大の醍醐味である。夏の甲子園大会でも、“伝説の大逆転劇”がいくつも存在する。延長イニングでの6点差をひっくり返し、“逆転の報徳”の名を生んだのが、1961年の1回戦、報徳学園vs倉敷工である。
報徳学園・酒井癸三夫、倉敷工・永山勝利両投手は、ともに決定打を許さず、0対0のまま延長戦へ。10回裏、報徳学園は1死一、二塁のサヨナラのチャンスも無得点。代打が送られた結果、セカンド、ショート、ライトを入れ替えたことが、守乱を誘発する。
11回、倉敷工は1死一塁で槌田誠が遊ゴロ。だが、併殺を焦った二塁手が送球を後逸し、一、三塁とピンチを広げる。さらに、敬遠の満塁策も裏目に出て、松本芳男の二塁打で2点を失ったあと、本塁野選や一塁悪送球などミスが相次ぎ、6点をリードされた。誰もがこの時点で「勝負あった」と思った。
ところが、報徳学園もその裏、敗戦を覚悟した沢井謙良監督が思い出代打で起用した平塚正の三塁内野安打をきっかけに2点を返し、なおも2死三塁と食い下がる。
この場面で倉敷工・小沢馨監督は、疲労した永山に代えて、7月初めに右鎖骨を骨折したエース・森脇敏正をリリーフに送った。だが、「あと一人なら何とかなるだろう」という温情采配が試合の流れを変える。
1ヵ月のブランクがあり、本調子ではない森脇は四球と安打で3点目を失い、1死も取れず降板。疲れを押して再登板した永山も、押せ押せの報徳打線にのみ込まれ、3連打と本塁への返球を捕手が後逸する痛恨のミスで、6対6となった。
こうなれば流れは報徳学園。12回1死満塁から貴田能典の右前タイムリーで劇的な逆転サヨナラ勝ち。最後まで勝負をあきらめなかったナインが起こした奇跡に、沢井監督は「こちらが生徒たちに教えられた」と感激しきりだった。
一方、温情が裏目に出て、九分九厘勝っていた試合を落とした小沢監督だったが、試合後、選手たちから森脇を登板させたことに対して感謝の言葉を贈られたという。
「何が起こるかわからない」
報徳学園の史上最大6点差逆転劇の大会記録が更新されたのは、93年の2回戦、徳島商vs久慈商だった。
徳島商のエース・川上憲伸は立ち上がりから球が走らず、初回にいきなり3失点。2回にも自らのエラーをきっかけに失点し、5回にも3安打を集中されるなど、7回を終わって0対7の大差がついた。地方予選なら、この時点でコールドゲームである。
だが、野球は最後の最後までわからない。8回1死から徳島商の怒涛の猛攻が幕を開ける。高松俊輔の二塁打を皮切りに、4番・川上ら中軸の4連続長短打で3対7。7回まで好投を続けていた久慈商の技巧派左腕・宇部秀人が疲れから制球を乱し、球が高めに浮き出したことも大きなプラスになった。
さらに連打で2点差に詰め寄ったあと、2死一、二塁からこの回2打席目の利光恵司が左越えに二塁打して、ついに同点に追いついた。
勢いに乗った徳島商は9回1死一、二塁、平山貴郎が左中間を破り、奇跡の逆転サヨナラ勝ち。「あと5人で完封」の7対0から悪夢の大逆転負けを喫した悲劇のエース・宇部は「甲子園は何が起こるかわからないところでした」と肩を落とした。
2016年にも2回戦で最大7点差をつけられた東邦が、4対9の9回に6安打を集中して逆転サヨナラ勝ち。ミラクルを期待するスタンドの手拍子の嵐のなか、八戸学院光星の投手が「球場全体が敵に見えた」と重圧に押しつぶされた結果でもあり、改めて“甲子園の魔物”を実感させられた。
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