阪神「佐藤輝」はコールド負け、オリ「山本由」はヘッスラ…甲子園未出場組、それぞれの「最後の夏」

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 田中将大(楽天)やダルビッシュ有(パドレス)のように、甲子園のヒーローとして人気者になり、プロでもスターになった選手がいる一方で、地方予選で敗退し、甲子園に届かなかった“ノンキャリア組”の中にも、現在プロの第一線で活躍している選手が多い。彼らの「最後の夏」はどのようなものだったのか。

「最高のバッテリーだった」

 プロ5年目で球界を代表するエースに成長したオリックスの山本由伸も“ノンキャリア組”の一人だ。宮崎・都城時代は2年秋の新人戦決勝でノーヒットノーランを達成し、最速151キロ右腕として注目を集めた。

 そして、第3シードで迎えた最後の夏、脇腹を痛め、春の大会の登板を回避した山本は、初戦(2回戦)の延岡学園戦に先発。「不安もあったが、飛ばした」と7回2/3を被安打2、奪三振11の自責点1に抑え、全12球団20人のスカウトの前で復調をアピールする。

 だが、3回戦の宮崎商戦では、低めを見極められ、球が高めに浮くところを狙われ、3者三振の2、8回を除いて毎回走者を背負う苦しい投球。5回1死一、三塁のピンチに、タイムリーとスクイズで2点を失ったのが、最後まで響いてしまった。

 0対2の9回2死、最後の打者となった山本は、懸命の一塁ヘッドスライディングも及ばず、ゲームセット。目標の甲子園は夢と消えたが、山本は試合後、捕手の城村駿を「最高のバッテリーだった」と労い、「みんながいたお蔭で成長できた」とチームメイトに感謝の言葉を贈った。

アマチュアナンバーワン右腕に成長

 一方、阪神のルーキー・佐藤輝明は、兵庫・仁川学院時代は、けっしてプロから注目される存在ではなかった。特に野球が強いわけでもない同校を選んだのも、「家から近い」という単純明快な理由からだったという。

 2年夏、4番レフトとしてチームの中心選手になった佐藤は、3回戦の村野工戦で5打数5安打2打点を記録するなど、ベスト32(4回戦)進出に貢献。高2の秋ごろ、「プロを目指そう」と決意した。

 だが、三塁手兼捕手だった最後の夏は、1回戦で明石清水に1対11と無念の5回コールド負け。そんな中にあって、4番・佐藤は、チームの5安打中2安打を記録して孤軍奮闘。練習後もジムに通って筋力強化に励み、高校通算20本塁打のうち15本を3年時の4月以降に量産するなど、長距離砲として急成長しつつあった佐藤は、近大進学後、一気に素質が花開くことになる。

 もう一人の即戦力ルーキー、広島の栗林良吏は、愛知麗明2年夏の県大会で、3番ショートとして32打数18安打12打点と打ちまくり、ノーシードからの決勝進出に貢献。決勝では東克樹(DeNA)の愛工大名電に1対2と惜敗し、あと一歩で甲子園を逃した。

 エースで4番・主将となった3年夏は、8強入りがかかった県大会5回戦の栄徳戦で、1回に自らの犠飛で1点を先制したが、同点の7回に犠飛で勝ち越され、1対2の惜敗。「完封するのが自分の仕事だったのに、リードを守り切れず申し訳ない」と雪辱を誓った栗林は、大学、社会人を経て、アマチュアナンバーワン右腕に成長した。

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