レスリング金「向田真優」は個が確立した女性アスリート 親との別離から志土地コーチとの結婚まで
早くから親と別離
三重県四日市市の出身の向田真優は早くから親元を離れていた。父親の淳史さんはカヌーの選手でブラジリアン柔道などもしていた。父に進められて四日市市のレスリング教室に入ると、優れた運動神経を発揮、小学生の全国大会を連覇していった。中学から日本オリンピック委員会(JOC)の寄宿制度のエリートアカデミーに入り、一人で東京へ移った。
しかし、「ホームシックで毎日、母(啓子さん)に電話していた」という。東京の安部学院高校を卒業すると「強くなるにはここしかない」と至学館大学へ入り、吉田沙保里(五輪3連覇と2位)や伊調馨(五輪4連覇)の背中を見てきた。吉田とは同じ階級だったが避けて階級変更することはしなかった。
向田は「人に言われたから決めるということはなく、なんでも、自分で決めてきました」と話している。トップアスリートというのは十代前半から、際立った身体能力が注目され、それに磨きをかけることに大半の時間を奪われ大人になってゆく。
反面、一般的な社会体験が少なく、年齢に比べて社会的に幼いと感じることも正直、多いが、彼女はそうではなかった。「個が確立した女性」でもあった。さまざまな雑音があった中も退路を断って、愛する男性とともに集団生活から離れて上京したのもすべて自身の判断だった。
見せてほしい、男性指導者と女性アスリートの理想の姿
今年冬、NHKの特集番組が、二人が暮らすマンションの台所にまで入りこむ密着取材で二人の葛藤を描いていた。7月初め、リモート取材で志土地氏とのことを「彼はああいう取材、恥ずかしがらないで応じてくれるんですか。普通は恥ずかしがるものだと思うけど」と向けると向田は「嫌がることはなかったですよ」と話していた。余計なことをあれこれ尋ねてしまった筆者は翌日、「まだ若い女性だからあんまりプライベートなことは聞かないでくださいね」と広報担当の女性から電話で注意されてしまった。とはいえ、志土地氏の「人の好さ」にも助けられただろうが、NHKの番組は恋に落ちた男性指導者と女性アスリートの心理的葛藤を描いた、含蓄のある内容だと感じていた。昔とは違うが今なお、そうした恋愛について「けしからん」のようなことを言うだけの輩が存在するのだ。
女子バレーボールで「鬼の大松」と呼ばれた大松博文監督(故人)は57年前の東京オリンピックの決勝で、手塩にかけた「東洋の魔女」たちが決勝でソ連を破った優勝を見届けて「皆さん、幸せな結婚をしてください」と彼女たちをねぎらった。「魔女」は高卒の社会人ばかりであり、朝からの仕事と夕刻から深夜までの猛練習に明け暮れて恋愛の時間などなかっただろう。それもあってか当時、女性アスリートの引退は早かった。今は違う。アスリートのほとんどは大学に通う。「恋愛の時間がない」とばかりは言えないだろう。
24歳の向田真優も志土地コーチとともにパリ五輪での連覇も目指すだろう。今回、育ててくれた両親を想い「向田」で金メダルを取ることにこだわったという。東京五輪後に籍を入れるという。パリでは「志土地真優」なのだろうか。二人は女性アスリートと男性指導者とのあり方について、これからもよき方向性を示してくれるだろう。
いずれにせよ、東京五輪での向田真優の素晴らしい試合ぶりと志土地氏の支えに心からの祝辞を送るとともに、取材で変な質問をしたことをこの場を借りてお詫びしたい。
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