川井姉妹そろって金 「梨紗子は体育会系、友香子は文科系」の二人が快挙を成し遂げるまで

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「五輪に出るな」の嫌がらせも

 7月のリモート記者会見で五輪開催について、代表選手に反対派などから嫌がらせが来ていることを向けると梨紗子は「私にもそういうのが来ていました。そういう考えの人がいるのは仕方ないし」と吐露していた。

 一方、妹について「五輪延期の一年は、友香子にとってプラスだった。この間、体も大きくなったし」と強調していた。その通りだった。1~2年前とは全く体つきが違う。押し負け、力負けしなくなった。当初は62キロにも届かない体だったが、最大64キロにもなったのは食事と筋力トレーニングだ。姉が食事を作ることも多かった。

「もう食べられない」「食べなきゃ駄目」で普段は仲良しの姉妹が喧嘩になることもあったという。姉は4日の妹の試合をスタンドで見守った。友香子の決勝はランキング一位のA・ティニベコワ(キルギス)だった。これまでの対戦は1勝2敗。1点先行されたが慌てない。すぐにバックを取り返すなどで4点。最後に足を取られたが2点に抑え、上から覆いかぶさって攻撃を防ぎ4対3で逃げ切った。姉の眼は真っ赤だった。

 以前、女性誌で姉妹対談を企画した際、姉はよく話してくれたが、妹は寡黙で困ってしまい、後で至学館大学の広報担当者に追加談話を取って送ってもらうほどだった。

 しかし、おとなしい性格の友香子も負けん気は強い。初江さんに「いつも梨紗子の妹としか見てもらえない」と漏らしていたこともある。柔道の阿部詩がかつて「もう阿部一二三の妹と言わせない」と言っていたのと同じだ。リオ五輪で金メダルを取った姉を母やレスリング関係者らと取り囲んで喜び合う映像を見直してみると、友香子は決して嬉しそうにばかりしていない。「いつか自分も」と姉への嫉妬ともいえる表情が垣間見える。可憐に見える女性たちも、栄冠の根源は秘めたる闘争心なのだ。

姉と同じ景色を見た妹

 初江さんが「姉は体育会系、妹は文科系」と話すように小学生の頃の友香子は手芸や読書など女の子らしいことが好きだった。ところが、母が生徒たちの指導に忙しく「放ったらかせる」(友香子)のがつまらなくなり、帰路の車で「友香子もやりたい」とせがんだ。姉ほどの天性はなかったが、黙々と取り組む。石川県の故郷を去った姉を追うように至学館高校、同大学へ進み、栄和人監督にみっちり基礎を叩きこまれた。遅咲きながら世界選手権では銀メダル、銅メダルを取るものの金はなかった。アジア選手権の優勝はあるが、主要国際大会での初優勝がオリンピックというのも珍しい。

 五輪では試合会場(幕張メッセ)に入場してくる表情も、初めてのオリンピックと思えない堂々たるものだった。2019年9月のカザフスタンでの世界選手権、3回戦でキルギスの選手にフォールされて敗北し、五輪出場が絶望になったと思い込んだのか、筆者ら報道陣の前で床に崩れ落ちた姿が嘘のようだった。

 川井友香子はこの2年で驚異的に強くなったうえ、コロナでの対外試合中止など情報不足で、強くなった内容が海外勢から研究されにくかったのもよかった。「リオデジャネイロ五輪で梨紗子が優勝して、『(表彰台から)あんないい景色見たことないから、友香子にも見てほしい』と言われた。どんな景色なんだろと思って今までやってきた。やっとみることができた」と金メダルを噛みしめた。

 一方、スタンドから見事な妹の勝利を目の当たりにして「あれだけの試合を見せられたらやるしかない」と意を決していた梨紗子。「姉妹金メダル」はこの時点で決まっていた。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月8日掲載

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