CMだけではなかった小林亜星 時代劇テーマ曲や「頼まれると嫌とは言えない」と本人も出演
ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第13回は、今年5月に亡くなった小林亜星(1932~2021年)だ。
***
小林亜星といえば、多くのCMソングやレコード大賞を受賞した「北の宿から」を手がけた作曲家であり、名作ドラマ「寺内貫太郎一家」の主演俳優としての顔も思い浮かぶと思う。
実は、その長い活動の中で、時代劇とも関わってきた。私が知る限り、亜星さんは「時代劇の音楽を担当し、レギュラー出演をした唯一の人」である。
亜星さんが初めてテレビの仕事をしたのは、昭和28(1953)年にNHKが本放送を始めるよりも前、試験放送のころだった。
昭和7(1932)年、東京生まれ。中学時代からバンドをはじめ、慶應大学に入学したものの音楽活動に没頭。進駐軍のキャンプで演奏するバンドでマリンバとビブラフォンを演奏していた亜星さんは、慶應の先輩・藤城清治さんから試験放送でやっている人形劇の後ろで演奏してほしいと頼まれたのだった。それは影絵番組で、録音技術がないから、当然、全部が生演奏。その後、会社勤めをしたが、バンドのギャラが一晩3000円だったのに、大卒の初任給は8500円ほどの時代。バンドのときの金銭感覚のままで、給料は2日くらいで全部が飲み代に消えてしまう。
「こりゃ、ダメだって会社を辞めました。辞めたのはいいけど、自分にできるのは音楽しかない。それで服部正先生のところに弟子入りしたんです」
先生や兄弟子の手伝いをしているうちに、NHKのラジオ番組で演奏される曲の編曲の仕事が入るようになる。そして、本格的に作曲をしたいと思い始めたところに依頼されたのが、レナウンのCMソング「ワンサカ娘」だった。妹さんがレナウンの宣伝部でイラストを手がけていたという縁があったのだ。このヒットでCMソングの依頼が殺到。1日1本どころか、1日3本くらい作ることもあったという。
「朝まで飲んで寝ると、夢の中で作曲してアレンジもしてるんだよ。起きると急いで譜面にしてね。そんないい加減にできた曲ほど『いい曲ですね』なんて言われたなあ(笑)」
それまでの日本のCMソングは、童謡的な子供に聴かせるような曲が多く、進駐軍のキャンプのジュークボックスでたくさんの曲を聴いてきた亜星さんにとって、「ダサい」と感じるものだった。亜星さんは、日本のCMを全部変えてやるぐらいの気持ちで曲を書き続ける。サントリー「オールド」、ブリジストン「どこまでも行こう」、日立「この木なんの木」、シモンズが歌った明治製菓「チェルシーの唄」……歌い手も亜星さんの指名だった。
こうした経歴から、亜星さんがテレビや映像と縁が深い作曲家だったことがよくわかる。子供番組から依頼された「ピンポンパン体操」は200万枚売れた。アニメ主題歌「ひみつのアッコちゃん」「魔法使いサリー」「科学忍者隊ガッチャマン」など、今も人気の高い曲が多い。そして70年代、80年代、90年代と、それぞれに印象的な時代劇の音楽も手がけている。
75年の「剣と風と子守唄」(日本テレビ)は、お庭番支配・砦十三郎(三船敏郎)が幕府の腐敗に怒り、「将軍家に申し上げる! 内憂にして外患のこのとき、徳川の威信すでに地に墜ち、信ずるに足りず。恐れ多くもあえて申し上げる。徳川の幕政、不要なり!!」と言い放って姿を消す。彼のひとり娘・小雪(斉藤こず恵)は、元配下・あかねの左源太(中村敦夫)に預けられていたが、幕府はお庭番たちに十三郎を討つように命令を下し、戦いが始まるという物語。三船敏郎時代劇といえば荒野がつきもの。砂埃舞う荒涼とした風景の中で、ダイナミックな立ち回りが見せ場だが、亜星さんの音楽には、悲壮感とか寂寥感はなく、不思議な明るさがあるのが特長だ。また、当時8歳の天才子役・斉藤こず恵は、亜星さん作曲の「小雪のわらべうた」を披露。健気な可愛らしさを見せる。
80年代の代表作は、「三匹が斬る!」シリーズ(テレビ朝日)。その第1作の顔ぶれは、浪人ながらどこか品のあるリーダー格の「殿様」こと矢坂平四郎に高橋英樹。フリーターだが千石とりの武士になるべく自分を売り込む熱血剣士「千石」こと久慈慎之介に役所広司。どこかインチキくさいが憎めない「たこ」こと燕陣内に春風亭小朝。3人に同行するしっかり者の娘・お恵に杉田かおる。事件の黒幕を見つけ、殿様が悪人を叱りつければ、千石が「おめえら、みんな地獄に叩き込んでやる!」と鼻息荒く。さらに、殿様を「平ちゃん」と呼ぶお調子者のたこも大暴れ。アドリブ満載のかけ合いは絶妙だ。大御所3人の贅沢なロードムービーといった趣向の時代劇に、亜星さんは管楽器を多用した陽気な主題曲をつけた。それまでの時代劇音楽は、主演俳優が歌う演歌調の主題歌や「必殺シリーズ」の♪パラララ~のテーマなどが知られていたが、「三匹」にはCMソングと同様、亜星流の軽やかな新味があった。
そして91年、柴田錬三郎・原作の「おらんだ左近秘剣帳」(テレビ東京)には、楽曲提供のほか出演もしている。主人公は、尾張大納言の実子でありながら長崎で医学を学び、ボロ寺の蓮華寺に寄宿して診療を行う左近(小野寺昭)。彼は悪に対しては正義の剣をふるう、もうひとつの顔を持つ。亜星さんは、そのボロ寺の住職役だった。いつも境内を掃除しながら、弱い者のため走り出す左近を見守る役。口は悪いが、なかなかに人格者だ。
俳優の仕事について「頼まれると嫌とは言えないし、出ちゃうんだよな。坊主ならカツラもいらないし。でも、本業はやっぱり音楽」と笑っていた。
映像と結びつく画期的な音楽と、独特の個性で魅せたドラマ。どちらも亜星さんにとっては楽しいものだったのだろう。