海底に沈んでいるのは「海賊船」? コスタリカ沖で日本の「沈没船博士」が真実にたどり着くまでの一部始終を明かす
沈没船をはじめ、水中に沈んださまざまな遺跡を研究し、水に関わる人類の歴史をひもとく――それが水中考古学だ。その現場の発見と驚きを描いた『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』著者・山舩晃太郎氏は、世界各地の海で発掘調査に参加している。
今回の舞台は、中南米・コスタリカ。地元で海賊船と噂されていた船の正体に迫る!
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沈没船探偵の出番
今回の調査対象は、ウミガメも生息する美しい砂浜が広がるカウイータ国立公園沖に眠る2隻の沈没船である。
水深3~5mに沈んでいる「キャノン・サイト(Cannon Site:大砲遺跡)」、11~14mの地点に眠っている「ブリック・サイト(Brick site:レンガ遺跡)」)とそれぞれ呼ばれていた。
もともと、アメリカの研究機関が2015~2018年に現地調査に来ていたのだが、コスタリカの研究者や地元コミュニティと信頼関係を上手く築くことができず、追い出されてしまった。デンマークの水中考古学者で、私の友人でもあるアンドレアスがアメリカ撤退後もコスタリカの研究者たちと引き続き共同研究をしている。
アメリカの研究機関による4年間の調査で分かったことは二つ。
一つ目は、船の積み荷だったと見られるレンガが、17世紀から18世紀にかけて欧州諸国で使われていたものである可能性が大きいこと。
二つ目は、デンマークに残された歴史資料によると、1710年にカリブ海沿岸(コスタリカか隣国のニカラグア)で2隻デンマーク船が沈んでいたことだ。
しかし、15世紀末のコロンブスの新大陸到着以降、カリブ海沿岸では西洋帆船の海難事故が多数起こっており、これだけでは沈没船の正体の確証には繋がらない。
世界各地で沈没船の学術的調査に参加し、沈没船がどのように海底に沈み、埋まっているか、一目見るだけで理解できるようになっていた私は、同僚の水中考古学者たちから沈没船遺跡の「査定」を頼まれる機会が増えていた。
コスタリカでの仕事でも、ここが私の船舶考古学者としての腕の見せ所なのである。
デンマークに残っている歴史記録によると、クリスチャニス・クインタス号とフレデリカス・クインタス号にはそれぞれ24門の大砲が積まれているはずだった。しかし、ブリック・サイトには恐らく2門、キャノン・サイトに最大でも14門の大砲しか沈んでいない。沈没船遺跡と、記録で数が合わない。
そのため、以前にカウイータで調査していたアメリカ人水中考古学者の間では、この二つの遺跡は小型の1隻の帆船の遺跡で、沈没の際に甲板が崩壊し、船底部だけブリック・サイトとして残り、甲板より上部は今のキャノン・サイトまで流されて沈んだのではないかという仮説も出ていた。
そんなことは、あり得ない。
木造船は、フレームがあばら骨のように船全体の形を作っている。そのため、右舷と左舷の間で船体が縦に割れることはあっても、船体下部と上部の間に亀裂が入りバラバラになるなどということは、ほとんど起きない。
また、船という構造物は船体内部が空洞になっていることにより、中の空気と外の水の重量の違いが発生し浮力となるので、大砲や積み荷などの重たい物も輸送できる。もし、船が上下に割れ、船体上部だけが筏のように浮くだけの状態になってしまったら、重い大砲を14門も乗せたまま800mも移動することはない。その場ですぐに沈むだろう。
カウイータ湾の2カ所の遺跡は紛れもなく2隻の船である。
では何故、大砲や錨の数が資料に記されている数よりも少ないのだろうか?
それは、海底に沈んだ大砲と錨が、何者かによって引き上げられたからである。
当時もヨーロッパから新世界に運ばれた積み荷は大変貴重だった。これにはもちろん大砲や錨も含まれる。沈没から時間が経っていなければ、近くの砂浜に大量に木材が打ち上げられたり、海中からマストなどの船体の一部が水面に見えていたりして、他の船からも沈没船は見つけやすかっただろう。
2隻の船が沈没してから数週間以内には、沈没船内に残された積み荷を狙った他のヨーロッパ諸国の帆船によって、引き上げ作業が行われたはずだ。
そもそもクリスチャニス・クインタス号とフレデリカス・クインタス号に乗っていたデンマーク人の船員は、遭難地点の近くから他国の船に乗りパナマへ移動し、そこからセント・トーマス島に向かっている。恐らく2隻の沈没船の位置情報は、デンマーク船員や、この2隻から解放された奴隷により、ヨーロッパの他国にも漏れていたであろう。それに、このような横取り目当ての引き上げ作業が多かったからこそ、デンマーク人船員たちは、2隻をわざわざ破壊してからその場を離れたのだ。
ただ、当時の大砲1門の重量はゆうに1トンを超える。つまり潜水のできる船員や、船の甲板からロープで直接持ち上げる方法による大砲の引き上げは不可能である。
では、当時の西洋帆船は海中に沈んだ大砲や重い積み荷を、どう積み込んだのだろうか?
船がクレーン車に大変身!
実は、帆船に備わっている装備をフル活用することで、引き上げは可能となるのだ!
船には、帆を掛ける棒がある。「ヤード」と言うのだが、帆の上部をヤードに引っ掛け、パンッと帆を張る。帆を使わない時には、畳んで紐でヤードに結び付けておく。航海中は、風向きを読んでヤードの向きを変えることで、帆の向きを変える。
このヤードの先に、滑車を取り付けてみよう。すると船そのものが「クレーン車」に様変わりするのだ。海底から大砲を引き上げる時には、海の方にヤードを向け、紐を海の中に垂らし、大砲に巻き付けたら、甲板にいる船員たちが滑車に通した紐を引っ張るのだ。滑車を経由すれば、荷物の重さは半分になる。大砲を引き上げることも可能だ。
つまり、西洋帆船を沈没船遺跡の直上に移動させ、こうした装備を利用すれば、海底に残された沈没船の積み荷を引き上げることが可能となる。
ただこれには一つ問題がある。海底の大砲や錨の引き上げ作業が行える西洋帆船はある程度の大きさがあるので、浅瀬には近づけないのだ。
それに照らし合わせて考えてみると、ブリック・サイトはそもそも水深が10m以上ある。こちらは当時の帆船でも十分近づけたはずだ。だから、ブリック・サイトからはほぼ全ての大砲と錨は持ち去られたと考えるのが妥当だ。キャノン・サイトの方は、海底に残された14門の大砲は、全てが水深5mに満たない浅い場所から見つかった。
言い換えれば、水深5mより深い場所にあった大砲は全て引き上げられ、持ち去られてしまったのだ。
これで、海底にある大砲の数が少ないということの説明が付く。
さらに残る謎はキャノン・サイトから、50m離れたところに残されていた全長1.5mの錨だ。この地点の水深は2mしかない。このサイズの錨を積んでいた帆船が行こうとしても、水深が浅すぎて座礁の危険性がある。
つまり、船の誰かがわざわざ小型船に乗って錨を運んで降ろしたことになる。
当時の帆船は通常4本の大型の錨を乗せていた。少ない場合でも2本の錨は必ずあったはずだ。錨は車で言うところのブレーキに当たり、錨を積んでいない船などありえない。
船をその場にしっかりと留めておくため係留は2本の錨を使うことが多い。船の船首の右舷と左舷からそれぞれの方向に錨を降ろし、錨のケーブルを巻き上げてピンッと張ることにより、船を2本の錨の中央地点に停泊させることができるのだ。
しかし、今回、錨は1本しか見つかっていない。その錨と海底に残された大砲の位置から船体のあった場所を推測すると、もう1本の錨は沖の方に離れた位置に降ろしていたはずだが、見当たらない。
ここで1710年に沈んだデンマークの奴隷船の1隻であるクリスチャニス・クインタス号の記述を思い出してもらいたい。「船員たちを降ろした後で、錨ケーブルを切断して座礁させた」とあった。船員たちは飛び降りたのではなく「降ろされた」のだ。細かい言葉の違いだが、とても重要である。18世紀当時、ヨーロッパ諸国では、帆船の船員でも泳ぎの上手い者は少なかったという時代背景も考慮したい。学校で泳ぎなど習わない時代だったからだ。船員たちが「降ろされた」というのが、海に飛び降りて岸まで泳いだ、とは考えにくい。恐らく小型船に乗り換えたのであろう。
船員たちが避難した後、このような形で係留されている帆船を確実に座礁させようとしたら、どうしたらいいだろうか?
そう、「沖の方向に投錨している」錨のケーブルを切断すればよいのだ。
もし岸に近い方の錨のケーブルを切断したら、船は、水深が深く、障害物の少ない沖方向に流れていき、なかなか座礁しない可能性がある。確実に短期間で座礁させるためには、沖の方の錨ケーブルを切断するのだ。そうすれば係留が解け、船が浅瀬に座礁してバラバラになる。つまり不自然に岸に近い浅瀬に降ろされた錨は、船を意図的に座礁させるためだと考えたらクリスチャニス・クインタス号の歴史記述と完全に一致する。
これらの状況を考慮すると、この二つの沈没船が1710年に沈んだデンマーク奴隷船の「クリスチャニス・クインタス号」と「フレデリカス・クインタス号」である可能性が極めて高くなる。
ついに船の正体を解明
今回の私たちの調査結果から、この2隻の沈没船がクリスチャニス・クインタス号とフレデリカス・クインタス号である可能性が高いとコスタリカの文化庁が納得し、引き上げたレンガをデンマークの研究機関に送る許可が出た。
そして半年後、2020年の春頃に、レンガの化学分析の結果が届く。レンガは紛れもなくデンマーク製だった。
これで正式にカウイータ湾の2隻の沈没船は1710年に沈んだデンマークの奴隷船、クリスチャニス・クインタス号とフレデリカス・クインタス号であることが証明された。
長年、「海賊船」だと言われていた2隻の正体を、やっと解明することができたのだ。