「日本で最も孤立した島」に日本人20人が移住したワケ “インドア派の鳥類学者”が上陸調査――真相に迫る

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「子ども科学電話相談」で大人気のバード川上先生こと、鳥類学者・川上和人さん。今年はオリンピックのため、夏休み子ども科学電話相談の放送はない。しかし、がっかりしているあなたに朗報だ。累計16万部を突破した川上さんの鳥類学者シリーズ最新刊『鳥類学は、あなたのお役に立てますか?』から、とっておきの章を全文ご紹介する。今回お届けするのは「真夏の夜の夢」。といっても、あの文豪による戯曲でも、あの歌姫の名曲でもない。日本最東端の南鳥島で繰り広げられた18時間の調査のお話だ。無人島の夜でひとり敢行した2つの秘密ミッションとは。先生、無事のご帰還を祈念申し上げます!

日本で唯一「太平洋プレート上」にある島

 C-130はロッキード社のベストセラー輸送機だ。シルエットはダボハゼ風だが、高い輸送性能から世界中で活躍する。4基のターボプロップエンジンが奏でる爆音には耳栓が不可欠である。

 エンジン音が収まると、パイプフレームが軋む吊り下げ椅子から解放される。ダボハゼの腹を抜けて4時間ぶりに大地に足をおろす。滑走路は照りつける日差しで揺らめいて見えた。

 日に焼けた地元の人がニコニコと出迎え、私たちを観光用看板へ誘う。まずここで記念写真を撮るのが島の慣習のようだ。木彫りの看板が赤字で自己紹介をしている。

「ようこそ南鳥島へ 日本最東端の島」

 出迎えてくれたのは、海上自衛隊南鳥島航空派遣隊の隊長だ。

与えられた時間は“18時間”

 地球の表面は多数のプレートに覆われている。日本を支えるプレートはそのうち4枚だ。関東以北は北米プレート、中部以西はユーラシアプレート、伊豆諸島や小笠原はフィリピン海プレートの上にある。

 もう1枚は太平洋プレートだ。日本海溝の東に広がり、広く太平洋の海底を支えている。

 小笠原諸島の端に位置する南鳥島は、日本で唯一この太平洋プレート上にある島だ。

 環境省がこの島に鳥獣保護区を設定するにあたり、私が現地調査に行くことになったのは2007年7月のことだ。

 島には、自衛隊、気象庁、海上保安庁の職員約40名が常駐していたが、民間の空路はない。環境省から防衛省に協力を要請し、自衛隊機に搭乗させてもらったのである。まずは快く受け入れてくれた防衛省にお礼を申し上げたい。

 面積は約1・5平方km。直径40cmのマルゲリータピザ換算なら1200万枚相当である。1200万人で食べたら1人1枚しか配給されない程度の小島である。

 調査では鳥とともに他の生物のデータも取りたい。だが、輸送機に確保できた席は環境省の担当官と私の2名分だけだ。

 輸送機の運行は1週間に1度しかない。2人とはいえこの小さな島なら1週間で各種の調査が完遂できるだろう。

「何を勘違いしてるんですか。行った便で帰るんですよ」

 ん? どういうこと?

 南鳥島では農業も漁業も行われていないため、全ての物資は島外から輸送される。2人の人間を1週間養うには、数十キロの物資が必要になるが、この島にそんな余裕はない。

 カボチャの馬車は物資や人員を搭載して15時に島に到着する。この馬車は翌日の朝9時に島を離れてカボチャに戻る。

 私に与えられたのはその間の18時間だけだ。

約20人の日本人が移住

 右も左もわからぬ我々の身を案じ、ありがたくも隊長がガイドを買って出てくれた。まずは車で島の全域を回り、環境を把握する。

 南鳥島はとんがりコーンのような形をしている。とんがりコーンを立てた形ではなく、うまく膨らまなかったぺちゃんこタイプだ。平たくいうとマルゲリータピザを8等分したような三角だ。最高標高はわずか9mの平坦な島で、中央にはちょっとした森林があり、周囲には草地と低木が散在している。

 とんがりコーンの西側の辺に沿って滑走路がある。隊長によると、滑走路に降った雨水を集めて活用しているらしい。小さく平らなこの島には淡水系がない。海水の淡水化装置も調子が悪く水は貴重なのだ。

 滑走路の南端の浜辺に行くと、我々に驚いて鳥の群れが飛び立った。セグロアジサシだ。ざっと3000個体ほどいそうだ。

 海岸沿いの古い建造物の上ではクロアジサシが繁殖している。滑走路脇に生える木の陰にはアカオネッタイチョウの雛が育っている。

「冬にはコアホウドリの巣も一つだけあったんですよ」

 現地に滞在する気象庁の職員がそう教えてくれた。

 この島は海鳥の島なのである。ただし、今見られる鳥達は本来の姿のほんの一部だ。

 1896年、この島に約20人の日本人が移住した。海鳥がいたからだ。

 当時は11種の海鳥が繁殖していた。小笠原諸島内で最多の海鳥繁殖種数である。オオグンカンドリやコミズナギドリなど、国内ではここでしか繁殖記録のない種もある。数十万、もしかしたら数百万の海鳥がいたかもしれない。

 その頃フランスやイギリスでは、羽毛寝具や白い羽毛を飾った帽子がもてはやされていた。おかげで海鳥の羽毛は日本の重要な輸出産品となった。南鳥島にいたコアホウドリはその原料である。捕獲した鳥の翼の羽毛は装飾品に、体の羽毛は布団の材料に、肉や卵は食用に、内臓や骨は肥料に利用される。コアホウドリだけでなく全ての海鳥が経済価値を持ち、また島に住んだ人たちの食生活を支えた。

 1902年に島を訪れたブライアン博士の記録によると、多産していたはずのコアホウドリとクロアシアホウドリはほぼ絶滅状態にあり、その他の海鳥もすでに激減していたようだ。

 海鳥がいなくなると、経済活動の対象はグアノの採掘に代わる。グアノは海鳥の糞が蓄積したもので、リンと窒素を多量に含む。化学肥料が開発されるまでは、肥料としてこれもまた重要な産物となった。

 島の暮らしは楽ではなかったと記録される。台風が来れば平坦な島は高波に沈む。水や食料は不足し、衛生環境の悪さは感染症を誘う。1930年代には島の短い歴史に幕が引かれ、静かな無人島に戻った。

 調査をしていると、島の東岸に大きな魚雷が放置されているのが目に入った。最近の大型台風で打ち上げられたそうだ。

 南鳥島の名前は天気予報ぐらいでしか耳にしない。しかし、そんな島にも人が住んだ過去があり、その痕跡が残る。

 ここは深い傷を負った島なのだ。

一人夜の島に…勝負はここからだ

 島の概要が把握できたので、本格的な調査に入る。入ろう。入ろうと思った。

 まずい、計算ミスをしていた。

 7月だから日没は19時頃とタカを括っていた。しかし、ここは日本最東端だ。まだ17時半だというのに、夕陽が水平線に姿を消してしまった。予定が狂った。

 だが、フィールドでは不測の事態が起こることは珍しくない。こういう時こそ調査者の真価が問われる。まずは夕食を食べながら計画修正を図ろう。

 食堂でカレーを食べ終わると、やおら宴の支度が整えられる。明日の便で2人の隊員が本土に帰任するため送別会が行われるのだ。我々もお誘いいただきご相伴に与る。狭いコミュニティで固辞するのは無粋というものだ。いやはや、まずは一献。

 もちろん無為に酔っ払っているわけではない。これは現地の人から自然の様子について情報収集するヒアリング調査である。

 20時を過ぎた。そろそろマズいかもしれないな。しょうがない、行くか。

 廊下に並ぶ「寄生獣」を全巻読破したい欲求に駆られる。一般人がいない環境にありながら宿舎のドアに貼られた「自衛官募集」のポスターも気になる。しかし、残り13時間を切った。

 環境省の担当官を残して一人夜の島に躍り出す。勝負はここからだ。

 まずは、ブラックライトで昆虫を誘引する。飛んできた昆虫が衝突するようプラスチックの板を立てその下に水盤を置く。明朝には水に浮かぶ虫が多数回収できる。

 次は魚肉ソーセージを置き、自動撮影カメラを向ける。これで外来種のネズミを撮影する。

 宿舎のライトに張り付くヤモリを捕獲し、サンプル管に保存する。どれも外来のヤモリだ。

 歩きながら手当たり次第に植物を採集する。種類の判別は後日でよかろう。時間がないので、同時並行で調査を進めながら暗い島中を歩き回る。

 実は私には二つの秘密夜行ミッションがある。ミナミトリシマヤモリとコミズナギドリの探索だ。両者とも戦後は記録されていない。

 このヤモリは日本最大のヤモリで、国内では南硫黄島と南鳥島でしか確認されていない。今回の調査の1ヶ月前に私は南硫黄島に行き、調査でミナミトリシマヤモリを捕獲していた。このため脳内には探索像ができあがっている。視界に入れば必ずわかる。

 コミズナギドリは夜間に陸地に飛来する。地中で繁殖するため日中は見つけづらいが、夜に独特の声で鳴く。

 彼らはまだどこかに隠れているかもしれない。これまでは夜間調査が不十分で見つかっていないだけかもしれない。もし生き残っていたら、必ず検出してみせる。

午前9時のシンデレラ

 夜中1時半、仮眠をとる。

 早朝3時、再び歩き始める。

 4時10分、日の出を迎える。

 ミナミトリシマヤモリもコミズナギドリもとうとう見つからなかった。自分で探したのでよく実感できた。彼らはこの島ではやはりちゃんと絶滅しているようだ。

 奇しくも島の東端にいる。日本で最初の朝日を見ながらとぼとぼと歩いていると、セグロアジサシの死体が目に入る。

 頭上には高さ200mを超えるロランタワーを支える細いワイヤーが張られている。飛行中の鳥がワイヤーにぶつかって死んだのだ。

 死体には真っ赤なヤドカリが群がる。サキシマオカヤドカリだ。

 小笠原の他島で見られるのは多くがムラサキオカヤドカリで、赤いサキシマはほとんどいない。しかし、ここにはサキシマしかいない。

 しかもサキシマも普通じゃない。普通は全身真っ赤だが、ここには赤白マダラのめでたい個体や、ほぼ真っ白な個体がいる。そういえば、海外の写真では白っぽいのを見た記憶がある。

 小笠原諸島の様々な島で調査をしてきたが、こんな場所は初めてだ。

 朝9時、再び輸送機に乗る。搭乗直前に滑走路上でオガサワラトカゲを捕獲してサンプル管にしまう。これで調査は終わりだ。

 窓下に小さくなる島の中央にトゲミウドノキの林が見える。日本ではこの島にしか自然分布していない樹種だ。

 改めて思うと、太平洋プレート上での調査は今回が初だ。

 南鳥島は小笠原村の一部だが、これはあくまでも行政的な区分でしかない。隣の島まで1300kmも離れ、異なるプレート上にあるこの島の自然環境は、ほぼ小笠原ではない。南鳥島は日本で一番孤立し、一番特殊な地理的条件にある島だ。お目当てが見つからずとも、このユニークな島で調査ができてよかった。調査をサポートしてくれた全ての人にお礼を言いたい。

 厚木までは4時間かかる。興奮が収まるとお腹が空いてきた。だが、私は搭乗時に「機上食」と書かれた弁当が積み込まれるのを見逃さなかった。マダカナマダカナ、オベントマダカナ。

 1万回ほど呪文を繰り返したところで、ようやく弁当が配られた。

「お疲れ様でした!」

 手渡されたのは、厚木基地でカボチャの馬車から降りた後だった。

 担当官と2人でうららかなベンチに並び、すっかり冷えた弁当を食べる。

「南鳥島産の弁当なんてプレミアものですね」

「ホカホカのできたてランチよりよほど価値ありますね」

「深く考えちゃダメですね」

「うん、ダメですね」

 南鳥島が鳥獣保護区に指定されたのは、その2年後のことである。

デイリー新潮編集部

2021年8月6日掲載

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