本当のミニマリストになれるのは人気者だけ? スマホすらない生活をするためには(古市憲寿)

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「こんまり」こと近藤麻理恵さんが初の著書『人生がときめく片づけの魔法』を出版したのは2010年のことだった。奇しくも、同年の新語・流行語大賞には「断捨離」もノミネートされた。その後も片付けブームは続き、2015年の新語・流行語大賞には「ミニマリスト」がノミネートされた。

 この10年の片付けブームには、誰もが知る立役者がいる。何も出版界のフィクサーだとか、そのような意味ではない。スマートフォンの普及だ。

 総務省の「通信利用動向調査」によれば、2010年のスマートフォン保有率は9.7%だったが、2012年には49.5%、2015年には72.0%にまで上昇している。

 かつては、「動画(テレビ)を観る」「写真を撮る」「音楽を聴く」というように、家電の機能は細分化され、用途ごとに製品を入手する必要があった。

 それが今や大抵のことがスマートフォンで済んでしまう。家電に限らず、「応接間に鎮座したまま一生読まれることのない全集や辞書」など昭和の遺物もスマホは飲み込んでいく。

 つまりスマホがなかった時代のミニマリストと、現代のミニマリストは全く生活スタイルが違うはずなのだ。昭和の時代、部屋に何も置いていなかったら、本当に何もできない。もともと「断捨離」がヨガ用語だったのも納得で、瞑想とミニマルな環境は相性がいい。

 翻って、スマホありのミニマリストは、実は欲望と愛憎に塗れている可能性もある。SNSでエゴサーチをして一喜一憂したり、ゲームに尋常ではない額を課金しているかも知れない。「ミニマリスト」のスマホ画面に、無数のアプリが乱雑に並んでいたら、やはり違和感を抱いてしまう。

 本当の意味でミニマルな生活を送りたいなら、スマホを含めたインターネットとも距離を置くべきだ。しかし現代社会でネットを手放すことは、中世でいう「出家」ほどのインパクトがあると思う。

 何せ仕事にならない。この原稿で考えると、原稿用紙に手書きして、それを郵送することになる。昭和末期はFAXだったかもしれないが、FAXを使うならミニマリストではなくアナクロニストだ。しかも出版社は、手書きの原稿を文書データに直す必要がある。今や大御所の作家にしか許されていない贅沢だ。

 交友関係を維持するのも困難だろう。手紙を送りつけても相手が返事をくれるかわからないし、急な集まりに招かれることもまずなくなる。呼んでいなくても友人や知人がひっきりなしに訪れる人気者でないと、その生き方は難しそうだ。

 もしかしたら、周囲が放っておかない人気者が最もミニマリストに向いている。いくら物を捨てても、次々に新しい物をもらえるからだ。だから本人は物という形では何ら所有する必要がない。宵越しの銭を持たないパリピこそが現代流ミニマリストなのかもしれない。ただそれはそれで、人間界の欲望にどっぷり浸かっている気もする。ミニマリストへの道は険しい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年8月5日号掲載

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