長男に選挙区を譲る塩崎恭久元厚労相 言行不一致で「史上最もひどい世襲」という声
地元知事も「嫌味」
塩崎議員の「政治は家業ではない」という大見得はどこに行ってしまったのか。これでは“言動不一致”と批判されるのも当然だろう。
「塩崎議員は『あくまで公募で候補者を選びます』というスタンスを取りました。自分が長男を後継として指名したのではなく、彰久氏が公募に応募。厳正な審査の結果、候補者にしましたという“公正な選考”を強調しました。しかし地元では、姑息なやり方と非難されています」(同・記者)
愛媛県の中村時広知事(61)も、“世襲”を批判した。そもそも知事は1993年の衆院選で、塩崎議員と戦った過去を持つ。旧愛媛1区は中選挙区制だったため定数は3。この時は2人とも当選した。
最初から“敵味方”の関係だった上、松山市長選が“代理戦争”の様相を呈したことなどもあり、中村知事と塩崎議員の関係は悪いことで知られている。
彰久氏の立候補が発表されると、さっそく中村知事は嫌味を言った。地元紙・愛媛新聞の記事(巻末註1)から、その発言をご紹介しよう。
《「公募をうまく活用した世襲を模索されていると感じる。批判がありそうだからとごまかさず、堂々と世襲を目指しますと言われた方が良かったのではないか」》
千載一遇のチャンス?
ただし、中村知事も世襲議員に近いところがある。父親である中村時雄氏(1915~2001)は1975年から1991年まで松山市長を務めた。知事と市長で重なってはいないが、2代続けての政治家あるのは間違いない。
実は、塩崎議員がこのタイミングで長男に後を継がせることにしたのは、特別な事情がある。地元の政界関係者は「塩崎さんも批判は覚悟の上でしょう」と明かす。
「93年の直接対決では、塩崎議員が中村知事を約3000票、上回りました。しかしながら、今の愛媛1区では、いまだに中村知事を応援している有権者は少なくありません。もし中村知事が国政復帰を目指し、小選挙区で塩崎議員と対決すれば、勝つのは知事という見立ても少なくありません。塩崎議員としては、息子に譲ったら中村知事が国政に転じて惨敗するというシナリオだけは絶対に避けたいわけです」
ところが、今はコロナ禍で全国の知事は大変なことになっている。
「仮に今回の衆院選で、国政復帰を目指して中村知事が辞職し、愛媛1区に立候補したとしましょう。地元の有権者は『コロナ対策を放りだして、衆院選に立候補するとは何事だ』と言い出すはずです」(同・関係者)
裏を返せば、中村知事が出馬することができない総選挙だからこそ、「これを千載一遇のチャンスと捉え、長男への禅譲を決めたということです」(同・関係者)
註1 「衆院選愛媛1区 知事 公募活用した世襲 自民県連 公平全く問題なし 塩崎氏長男擁立」(愛媛新聞:7月10日朝刊)
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