東京五輪、陸上競技スタートで巻き起こった「織田裕二ロス」で振り返る「世界陸上愛」
1997年、29歳の時に
東京五輪で陸上競技がスタートすると、SNSには〈陸上と言えば織田裕二さん〉〈陸上を見ているのに織田裕二でてこない〉〈陸上の中継には織田さんがいないと…〉などと、「織田裕二ロス」に触れる投稿が目立った。俳優の織田裕二(53)は、1997年から2019年まで12大会連続で世界陸上(TBS系が中継)のメインキャスターを務めてきた。その経験と報じる際の“熱量”から、陸上の顔となっていたことが図らずも証明された格好だ。彼と世界陸上との関わりを振り返ってみた。(文中敬称略)
織田が世界陸上のメインキャスターに指名されたのは1997年、29歳の時。もちろん初体験だ。オファーがあった時、「えっ、ボクでいいの?」と驚いたという。
TBSは起用の理由を「織田さんはスポーツマン。日ごろの演技に対する真摯(しんし)な姿勢が、アスリートたちのストイックさと共通するものを感じた。単なるキャスターではなく、視聴者の代表として感じたことをズバリしゃべってもらいたい」と説明していた。
織田は小学校から高校まで、神奈川・桐蔭学園に通った。進学校であり、甲子園常連でもあり、ラグビーも全国制覇を果たすなど、スポーツはめっぽう盛んだ。織田は小学生で野球のリトルリーグ、中学からは硬式テニス部に所属。高1で左足のひざを痛め、それをかばううちに右足も悲鳴をあげるようになり、ラケットを置くことになった。
スポーツマンであり、それを諦めざるを得なくなった人であり、選手の悲喜こもごもを伝えるキャスターとして、実は好適な人物なのかもしれない。
「一回きりの人生じゃないですか」
モットーは「隣のお兄さん」でいることだという。陸上に疎い視聴者にもわかりやすく伝えたい。「興味がない人たちに楽しんでもらわないと駄目だと思う。初めて見た選手にも感情移入できるようにしたい」(中日新聞2019.9.7)と語っている。
現場を理解すべく積極的に身体を張り、三段跳びにも挑戦した。
「情けねえなと思いましたね。7歩でやっと砂に届いた(笑い)。選手たちが積み重ねてきた筋力の鍛練と技術の大きさを実感しました」(産経新聞1997.7.30)
初回から視聴率は良かった。
マラソン生中継で女子は15.6%、男子が16.0%。「女子マラソンハイライト」に至っては21.2%。月曜夜9時台の放送だった「総集編」は、フジテレビのドラマ「ビーチボーイズ」、「SMAP×SMAP」と日本テレビ「失楽園」というお化け番組が並ぶ中、17.5%と大健闘した。織田は最初から「持ってる男」だったようだ。
世界陸上における織田は地道な取材を重ね、選手事情に明るく、そのキャラは「アツさ、ホットさ、まっすぐさ」に尽きる。それは普段のドラマや映画の現場でも変わることがなく、過去のインタビューでは、冷めた雰囲気の撮影現場で浮いてしまったことをメディアが取り上げた結果、「織田バッシング」につながったことについて、こんな風に明かしている。少し長くなるが、紹介しておこう。
「一回きりの人生じゃないですか。短い人生ですよ。くすぶって終わりたくないじゃないですか。子供の時から、どんなものでも上がいた。運動でも勉強でも。一番になるのは本当に大変なことなんですよ。これまで、いろんな仕事をしてきました。その中に腐っている現場がありました。言葉は悪いですが、腐っているというか、みんなヤル気がない現場ね。気持ち悪いし、自分がその中にいるのが嫌だし、腐っちゃうし、死んじゃうし、やっぱめげるじゃないですか。人間、マイナスに考えると、どんどん転がり落ちるんですよね。でも、腐った現場を自分が何で変えてみようと思えなかったのか、それが悔しい。腐っている現場だから、当然結果も良くない。俳優に与えられるチャンスなんてそうそうないですから。自分の持っている力を注いで、その現場を変えないと。それが、仕事を引き受けた責任なんですよね」(日刊スポーツ1997.7.27)
SNSでは、〈TBSが陸上競技を放送する時は織田さんの登場を〉〈TBSが駄目ならNHKでも〉といった声もあるが、今のところ登場の機会はなさそうで、来年の世界陸上を待つことになりそうだ。