メダルを狙う女子レスラー 須崎優衣、向田真優、川井梨紗子が語る“五輪への決意”

スポーツ

  • ブックマーク

 リオデジャネイロからの五輪連覇を狙うのは川井梨紗子(26)=ジャパンビバレッジ=と土性沙羅(26)=東新住建=の二人だ。パワハラ騒動で栄和人氏が辞任した日本レスリング協会の強化本部長職を引き継ぐ西口茂樹氏は「とても栄さんの真似はできませんが、僕のできることで全力を尽くしたい」と話す。五輪後に日本レスリング協会の会長職を辞すると見られる福田富昭氏は「男女で金5個、メダル10個」を目指しているという。前回に続き、女子3選手を紹介する。

1%の可能性から掴んだ五輪切符

【女子50キロ級(8月6日、7日) 須崎優衣(22)=早稲田大学】

 早稲田大学レスリング部出身の父・康弘さんの影響を受け、出身地千葉県松戸市のクラブでレスリングを始めたのが小学校1年生の時。「水泳やピアノもやっていましたが、なぜか嵌(はま)ったのがレスリングでした」。以来、小学生大会や中学生大会を「総なめ」にし、中学2年からJOCのエリートアカデミーに所属した。東京の安部学院高校から父と同じ早大に入る。

 この間、2014~16年、世界カデット選手権で3連覇、2017、18年の世界選手権を連覇し、すい星のように現れたニュースターも左ひじのじん帯断裂などのアクシデントに見舞われた。2019年の全日本選抜選手権と全日本選手権では、リオ五輪48キロ級の金メダリスト登坂絵莉(東新住建)を撃破し、世代交代を見せつけた。

 そして最後に立ちはだかった入江ゆき(自衛隊)とのし烈な五輪代表争いとなる。2019年6月の全日本選抜選手権は優勝したが、全日本選手権は怪我で出場できず、2019年の世界選手権出場をかけて7月のプレーオフとなる。激戦の末に須崎は入江に敗れ、五輪出場はほぼ絶望になった。吉村祥子コーチ(世界選手権5度優勝の強豪だが、まだ女子レスリングは五輪種目ではなかった)に抱きかかえられるようにして泣きながらマットを去った須崎。

 会見では「1%でも可能性があれば……」と語ったが、涙は止まらなかった。

 6月のリモート会見では「オリンピックが東京で開催されることになって東京で金メダルを取ることだけを考えた。何のために生きて行けばいいのかと落ち込みました」と振り返る。

 しかし、神は見捨てなかった。「1%の可能性」が浮上したのだ。入江は、世界選手権で代表を確定するはずだった3位以内に入れず、その年12月の全日本選手権で須崎は入江に勝つ。コロナの影響で長く代表内定は「宙ぶらりん」状態だったが、ことし4月にカザフスタンで行われたオリンピック・アジア予選で出場権を自らもぎ取ってきた。夢をかなえた須崎は7月23日の開会式で旗手の大役に抜擢された。

「プレーオフで(入江に)負けたのが一番のターニングポイントでした。あれを乗り越えたからこそ、自分があると思います。負けても家族や友人、周囲の人たちの温かさを感じて立ち上がれました。吉村コーチは生活、人生をかけて私の指導をしてくださっているんです」と謙虚だ。

 中でも同じ早稲田大学で卒業までレスリングをしていた姉の麻衣さんは、引退後は全力で妹を支えてくれている。「姉は働いていてなかなか会えないけど試合の時などはいつも長文のメッセージで励ましてくれるんです」。「金メダルを取ったら姉の首にかけてあげたい」と須崎。本当に仲の良い姉妹だ。

 そんな須崎は現在、主に早稲田大学で男子選手らとスパーリングなどを重ねている。「組み手は少しうまくなったかな」。指の力をつけるためにクライミングなども取り入れている。毎日、几帳面に日記をつけ、技のことや反省点などを書き込んでいるという。

 礼儀正しく誰からも好かれる素直な性格の須崎優衣。レスリング会場は松戸市と同じ千葉県の幕張メッセ(千葉市)だ。「応援して下さる人がいると力を出せるので無観客はちょっと寂しいけど金メダル目指して頑張ります」。

婚約者の肩車で日の丸を

【女子53キロ級(8月5、6日) 向田真優(24)=ジェイテクト】

 世界選手権は2016年から19年までの4回に登場し金、銀、金、銀を獲得している実力者だ。その順番なら「次は金」である。

 名門至学館大学レスリング部の「超人先輩」吉田沙保里(引退)の存在で、五輪は初出場である。それでも「私の階級は53キロ。このクラスで戦いたかった」と、吉田を避けて階級を変えるようなことはしなかった。

 三重県出身であることも同じ吉田はアテネ五輪以来、55キロ級で3連覇したが、リオデジャネイロ五輪は決勝で敗れた。「尊敬している吉田先輩と戦ってきた選手と戦えるのは嬉しい」と話すが、吉田を破った米国選手ヘレン・マルーリス(29)は階級を上げたので、向田との対決はない。とはいえ、伝統の階級で金を取り戻す大役が託された。

 至学館大学の主将時代、日本レスリング協会の強化本部長だった栄和人監督の「パワハラ騒動」でレスリング部は揺れに揺れていた。「大変でしたけど、いい勉強になりました。誰でも主将になれるわけでもなかったし……」と前向きに振り返る。

 実力者だが、何か力が出ないうちに終わって敗北してしまうような試合があるのはやや気がかり。特に後半が悪いケースが多く、筆者が見に行った2019年の世界選手権(カザフスタン)も最後に、相手のローリングを食らって敗れた。昨年2月のアジア選手権(インド)も8-0から逆転フォール負けを喫した。リモート取材では「前半はいいのですが、後半は相手を見てしまう。負けた試合は動きがぴたりと止まっている」と話している。「相手のプレッシャーに押し負けることも多く、ウェイトで力をつけている」。

 カヌーの選手からブラジリアン柔道に転じ全日本選手権で準優勝までした父敦史さんの影響で5歳からレスリングを始めた。向田は中学の頃から親元を離れて東京のエリートアカデミーに入り、そして愛知県の至学館大学に入った。エリートアカデミー出身者はほとんどが東京近辺の大学へ行くが、「オリンピックに出るには、同じ目標を持った人が多い至学館大学に行くのが近道」と考えたという。

 向田は至学館にコーチに来ていた志土地翔大氏と婚約した。この冬だったかNHKが特集番組で「指導者と教え子の恋愛」で悩む二人の姿を克明に追っていた。向田は主将だったため難しい立ち位置でもあった。照れ臭かったでもあろう志土地氏は台所にまで入ってくる取材スタッフを嫌がる様子もなく素直に取材に応じる好人物である。一度、週刊新潮が「禁断の恋?」を書いたこともあったがそんな二人の人柄か、好意的な記事だった。

「寮生活では食事は作ってもらってばかりでしたが、二人の生活になった今は、栄養を考えて作るのも楽しみなんです」と向田は幸せそうだ。「スパーリングでは翔太コーチにライバルの米国選手やロシア選手に成りきってもらっています。コロナでマット練習ができなかった間も二人で河川敷を走ったり、打ち込みなどをしていました」。

 向田真優はこれまでの節々での大きな決断も誰かに言われるからではなく、すべて自分自身で決断を下してきた女性である。周囲を驚かせた婚約もそうかもしれない。

 集団生活が長かったが十歳ほど年上の「よき伴侶」を得てようやくそうした環境から「解放」された。彼女は日本人選手としては珍しいくらいに「個が確立している」アスリートでもある。最大のライバルと見られた北朝鮮選手は参加しないが強敵だらけ。愛するコーチの肩車で日の丸を掲げる日が楽しみだ。

次ページ:「偉大な先輩二人についていっただけ」から真のリーダーに

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。