「世の中はとにかくミュージシャンに甘い」と燃え殻さんが思うワケ 結婚式で知らないバラードを歌ったバンドマン
遅刻を詫びないミュージシャン
7月29日に2作目の小説『これはただの夏』(新潮社)を上梓した燃え殻さん。40代の「ボク」と、「反則レベル」の美女と、10代の女の子の一瞬の交錯。未だに此処ではない何処かを夢見てしまうあなたに贈る、「ただの夏」を巡るお話だ。刊行を記念して、燃え殻さんが周囲で起きる‟滋味あふれる雑事”を綴った「週刊新潮」の連載エッセイ「それでも日々はつづくから」より、厳選のエッセイを公開。
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「あの人はアーティストだから」
送ったメールが返ってこなかったとこぼした時に、編集者の人に言われた言葉だ。アーティストだと返信不要なのか。僕には半日返信がないだけで、「死んだのかと思って連絡してみました」と心配したそぶりで急かすくせに。とにかく世の中はアーティストに優しい。特にミュージシャンに甘い。
この間、某ミュージシャンと会食があった。2行だけ自慢をさせてもらうと、某ミュージシャン側から会いたいと呼ばれ、その店に行った。つまりお客さん気分で店に入った。それなのに時間になっても、先方は現れない。どころか店員も来ない。
先方は誰もが知っている人なので、完全個室を予約していた。完全過ぎて、店員がまったくやって来ない。個室の内装はどこもかしこも真っ白でだんだん意識が遠のいていきそうになる。狭い完全個室に編集者とふたり、無音でいすぎて、「ぎゃー!」と声を出したくなった。出した。編集者もいろいろ溜まっていたのか、「あー!」と叫ぶ。その時、先方が入ってきた。
「大丈夫ですか?」
先方の一言目がそれだった。大丈夫ではない。おっさんふたりが叫び声をあげるくらいには待たされていた。
「会いたかったですよ~」
二言目がそれだった。詫びたら死ぬ体質なのか、と思った。そして先方が座った途端、店員が来て、お冷が置かれる。店員とは顔なじみみたいで、近況を話し合って、グータッチをしていた。編集者を見ると、完全に媚びた表情で、軽くヘラヘラ笑っていた。軽蔑しようと思ったら、僕も同じぐらい微笑んでいることに気づき、見なかったことにした。その後も詫びることは一切なく、いかに僕の書いたものが好きかを語ってくれた。詫びることは一切せず(念押し)。
結婚式で誰も知らないバラードを歌うバンドマン
もう10年以上前、友人の結婚式に参列した時のことだ。つつがなく式は進み、余興の時間になる。友人の新郎は売れないバンドマンで、結婚を機にバンド活動をやめて、地元の不動産屋の営業として再出発するという話を事前に聞いていた。余興は元バンド仲間たちの演奏という、なんとなく泣けるかもしれない出し物だった。
「今日は本当におめでとう」
アコースティックギターを持った元バンド仲間たちが、そう挨拶すると、新郎は早くもハンカチで涙を拭っている。こちらもウルッときた。
「では、皆さんもご一緒に手拍子お願いします」
慣れた感じで、手拍子を促す。新郎新婦もそれに倣う。僕もつられるように加わった。そうして始まった曲は、会場で誰も聴いたことのない曲だった。いや新郎だけは口ずさんでいた。あとは口ポカンの彼らのオリジナルバラードだった。
誰も聴いたことがないので、手拍子もどう取っていいかわからず、だんだんとドタドタした感じで乱れていく。それでもなんだかいい曲っぽい感じで最後まで歌い上げ、ギターをかき鳴らすと会場は拍手に包まれる。そしてスタンディングオベーションが沸き起こる。僕も仕方なく、その場の空気に押されて席を立ち、拍手をしていた。拍手をしながら、世の中はとにかくミュージシャンに甘い、とつくづく感じたことを憶えている。