「毒親」はいかにして生み出されるのか 「愛着スタイル」が影響、毒親との向き合い方は?

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〈語録〉〈恐怖〉〈連鎖〉。これらの言葉の前には、昨今流行(はや)りのある言葉が付く。「毒親」。ひどい親に育てられた自分が幸せになんてなれない。子どもにきつくあたってしまう私は、もしかして……。

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 毒親育ちの私はどうすればいいの?

 毒親の介護はしなきゃいけないの?

 もしかして私自身が毒親?

 最近、「毒親」という言葉を、新聞・テレビ・ネット等、あらゆるメディアで見聞きする機会が増えています。自分は毒親に育てられたと、親を「告発」する有名人の存在も珍しくなくなりました。

 しかし、毒親の定義は極めて曖昧です。そもそも、「毒親」という言葉は医学的専門用語ではありません。子どもは親を選べませんから、「親の仕打ち」に苦しんできた人が、自分の親が毒親であったと知ることで、「自分が悪かった」のではなく「親が悪かった」と認識し直せるとすれば、それは心の癒やしなどの面で決して悪いことではない。

 一方で、私は臨床医の立場から、安易な「毒親認定」には副作用が伴うことも指摘したいと思います。

「毒親に育てられた私が幸せになることなどできない」

「親が変わらない限り自分は変われない」

「私の性格が歪(ゆが)んだのは毒親のせいなのだから、もうどうすることもできない」

 こういった絶望を徒(いたずら)に抱かせてしまう危険性があるからです。

 では、毒親とは一体何なのでしょうか。

〈精神科医の水島広子氏は自身が院長を務めるクリニックで毒親、そして毒親に育てられた人、双方と日々向き合っている。

「毒親語録」「毒親の恐怖」「毒親連鎖」「毒親チェックリスト」……。巷には「毒親」が溢れ、「毒親ブーム」とでも言うべき事態となっている。ややもすると、「子どもにきつく当たる親」はすべて毒親と捉えられかねない状態とすら言える。他方、腫れ物に触るように子どもと接していては、教育も躾(しつ)けもままならない。ここは一度、「ブーム」に流されず、専門家の意見に耳を傾けてみるべきであろう。〉

「毒親」という言葉は、医療機関のコンサルタントであったスーザン・フォワードが米国で1989年に出版した『TOXIC PARENTS』が起源であり、日本では99年に『毒になる親』として刊行されて以降、広く使われ始めました。同書では、毒親とは子どもにとてつもない害を及ぼした親とされています。

 毒親という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)するようになった分、「毒親該当者」も曖昧な形で広がった感があります。そこで改めて、臨床の経験をもとに、私は毒親をこう定義づけたいと思います。

 子どもに安定した愛着スタイルを身につけさせてあげられない親。

子ども側の「物差し」

 この定義に基づくと、例えば厳しめに子どもを叱る親は、そのことだけで毒親にはあたらないことになります。愛着スタイルについては改めて触れますが、大事なポイントは子どもから見て親が不安定と映らないこと。そのためには「範囲」が重要です。うちの親はある線を越えると怒るけど、その線の内側であれば大丈夫と「範囲」を認識できれば、子どもは安定するものです。それは、「物差し」の違いと言うこともできるでしょう。

 親の機嫌が良いと許されることでも、機嫌が悪いと滅茶苦茶に怒られる。物差し、つまり基準が「親の機嫌」なので、子どもには理解し、受け入れることができない。これは毒親です。

 他方、子ども側に物差しが用意されていて、「人としてやってはいけないことをしたから親に怒られる」というような基準を子どもが飲み込めていれば、毒親にはあたらないと言えます。もちろん、この場合でも怒り方が常軌を逸している場合は別です。

 なぜ、こうした説明をするかといえば、あまりに毒親という言葉が広がったために、ちょっと子どもを叱っただけで、「私は毒親なんじゃないか」と思ってしまうことが心配されるからです。その結果、「子育て完璧主義」に囚(とら)われ、ストレスのせいで、却って子どもにきつく当たり、毒親ではなかったのに毒親になってしまう危険性があるのです。

 無理なことを自らに強いれば、人間、絶対におかしくなります。自分はこんなに完璧に子育てをしているのに、どうして子どもは完璧に育たないのか、子どもが悪い、子どもを叩き直さないと……。これでは元も子もない。

〈思わず、ものすごく激しく子どもを怒鳴ってしまった。つい、子どもに手を上げてしまった。私は毒親なのではないか。「毒親ブーム」ではそう思いがちになるが……。〉

 理不尽に厳しく叱ってしまったと思ったら、謝ればいいんです。さっき怒ったのは親側の問題であって、子ども側の問題ではないのだということをきちんと理解させてあげれば、「子どもの物差し」はブレないですよね。「今日はお母さん体調悪くて。さっき、カッとなっちゃったのはそのせいなの。ごめんね」といった具合にです。

 体調がすぐれず、その時の気分でついカッとなってしまった。そんな「過ち」を、親が子どもに認めていいものなのだろうか――。そう考えることこそ、毒親への第一歩です。それは「子育て完璧主義」の虜(とりこ)になり始めている証ですからね。人間は完璧じゃない。この理解に立たなければ、そもそも子育てなんてできません。怒鳴ってしまったら謝る。人間って、こういうこともあるよね。親子でそんなことを話せれば、一回や二回、厳しく叱ったからといって全く問題ありません。

 こうした基準から考えると、有名人などの「毒親告発本」の内容には、正直に言って首を傾げることも少なくありません。

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