スケボー金の「堀米雄斗」 6歳から始めた“英才教育”をスケーターの父親が語る

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 7月25日、東京五輪で新競技となったスケートボードの男子ストリートで、金メダルを獲得したのは、世界ランキング2位の堀米雄斗(22)。得点37・18で優勝が決まった瞬間、父親の堀米亮太さん(46)は、なぜか自宅近くの河川敷をサイクリングしていた……。

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「実は、息子の試合をジーっと見るのって苦手なんですよ。予選は見ましたが、あまり調子が良くありませんでしたから……」

 と語るのは、亮太さん。

「サイクリング中、会社の同僚から電話がきて『おい、すごいことになってるぞ』と言われました。『銅でも獲ったんですか』と聞くと、『ばかやろー、金メダルだよ』と。それを聞いて、ジーンときましたね」

 決勝で、日本人を沸かせたのは、堀米が得意とする「ノーリー270スイッチバックサイドテールスライド」。これで9.50(10点満点)を叩き出した。デッキ(スケートボード)の前方を弾いて宙に舞い、270度回転してデッキのテール部分だけ障害物に乗せるという、難易度の高いトリック(技)だ。

「このトリックは、1990年代のトリックを雄斗なりに改良したものです。今、こんな難易度の高いトリックを駆使する選手はほとんどいないでしょう」

徹底的に基礎を

 実は亮太さんも、元々スケートボーダーだ。スケートボードの大会で5位になったこともある。雄斗選手は長男で、下に2人の弟がいる。

「雄斗はお調子者でやんちゃでした。お寿司が大好きな子でしたが、私が本格的にスケボーを教えるようになったのは、6歳の時です。その頃、ちょうど浦安に公共のスケボーのパークができたので、雄斗を連れて行ったのです。でも、息子のためというより私が滑るのが目的だったんですけどね」

 ところが、実際に滑らせてみると、

「天才じゃないかと思いましたね。膝の使い方や、坂を下るときの姿勢をみると、直感でこれはいけると思ったのです。もう、自分が滑っているどころではなかったですね」

 亮太さんは、息子に徹底的して基礎を身につけさせたという。

「僕は、運動神経が良かった方なので、基礎を無視してどんどん技を覚えていった。そのため中途半端な乗り方になってしまい、途中で伸びなくなってしまったんです。雄斗にはまず、スケートボードを漕いで前進するプッシュを徹底的にやらせ、街中を走らせたのです。小学生なので、おまわりさんから注意されることもないだろうと思いました」

 最初の2年間は、基礎練習だけを行ったという。

「子どもは、早くから技を身につけたがるものです。技ができれば、試合にも勝てますからね。でも、技を覚えるのは基礎を身につけてからでも遅くはありません」

 さらに亮太さんは、半円形の斜面を滑るバーチカルを徹底的に練習させたという。

「脚力の強化と、エア(空中に飛び出す技)の恐怖心を克服するためでした。また、バーチカルによって体幹を鍛えることができるので、これでどんな技でも軸がぶれません」

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