メダルを狙う女子レスラー 川井友香子、土性沙羅、皆川博恵が語る“五輪への決意”
「浜口京子を超えろ」日本初の「最重量級金」を目指す物静かな文武両道
【女子76キロ級 (8月1、2日) 皆川博恵(33)=クリナップ】
京都府出身。高校教師の父秀知さんの指導で子供の頃からレスリングをしていたが宇治市立東宇治中学では陸上部。立命館宇治高校から立命館大学へ。初めの頃は浜口京子(アテネ五輪と北京五輪で72キロ級銅メダル。世界選手権5度制覇)の壁が厚かったが、2012年から世界選手権72キロ級に登場し、2014年には7位に入賞。しかし2015年に膝のけがをして世界選手権に参加できず、翌2016年のリオ五輪に出場することは叶わなかった。その頃は旧姓の「鈴木博恵」で知られていた。全日本選手権8連覇。
「リオ五輪は見ていなかった。見たくないというよりテレビも夜中だったし」と振り返るが気落ちしたことは間違いなく、一時は引退も考えた。しかし思いとどまった。2017年、18年の世界選手権で銅メダル。そして筆者も出かけた、東京五輪のかかった2019年の世界選手権(カザフスタン)では、決勝で米国の強豪アデリン・グレーに2対4で敗れたが善戦、銀メダルに輝いた。
引退を思いとどまった理由は「周囲のアドバイス」。その一つは父秀知さんの何気ない言葉だった。「2015年の世界選手権を見にこようとした父はパスポートが切れてたので取ったんです。でも私が怪我をして行かれなくなってしまった」。せっかくパスポート取ったから家族でハワイ旅行でもしようかということになっていたら、秀知さんが「試合観るために取ったんやけどな」と言った。「やっぱりレスリング続けてほしいのかなと思ったんです。もう一回、一生懸命にやってみて、それで負けてもいいかなと思いました」。何かの受け売りだそうだが秀知さんは「一番いいのは一生懸命やって勝つこと。その次にいいのは一生懸命やって負けること」と言っていたという。
2017年の世界選手権の銅メダルは転機だった。「それまでは世界選手権に壁を感じていた。初めてメダルを取って達成感などを味わうことができ、殻(から)を破れた」。この年には元レスリング選手だった拓也さんと結婚している。女子レスリングの東京五輪代表では唯一の既婚者だ。昨年の3月頃、歩くにも支障が出るほど痛くなった膝の手術を6月に行った。五輪の延長を見届けてからだ。「去年の最初の緊急事態宣言では、外にも出られず庭で旦那(拓也さん)に工夫してもらって打ち込みやったりしていた。心肺機能が落ちないようにした。その時、レスリングへの思いが明確になった気がします。旦那からは怪我で大変だった時のこととか知ってるので『無理しないように』と言われます。旦那のサポートのおかげです」。ぼそっと漏らす静かな言葉に実感がこもる。犬が大好きでフレンチブルドッグのマハロ君とレシヤ君を飼っているそうだ。「ハワイ由来の名前です。一回しか行ったことないけど」。
コロナ禍で五輪開催の是非が論じられてきたが、水泳の池江璃花子選手などと違い、33歳の皆川は必ずしも次の五輪を目指せるわけではない。リモート取材で筆者は「コロナでも五輪を開催してほしいという気持ちはより強かったのでは?」と訊いた。皆川は「やってほしいと考えたり、あんまりいろんなこと考えないようにしようと思ったり、でもそれはどうなんだろうと思ったり。年齢的なこともあるし、明白に声を大にしてこうだとは言いにくいかな。自分の中でもはっきりしていないんです」と熟考しながら答えてくれた。
「欧米の選手は力も強いし、パワーがないと技にもならないのでウェイトトレーニングで力をつけています。背が低い(皆川は162センチ)のは相手がやりにくいなど利点になる面もありますけど、もっと腕や足が長いといいのですが」と笑う。
皆川博恵は中学時代の成績も優秀で高校時代はニュージーランドに語学留学もした「文武両道」の女性だ。「細かい怪我はあるけど順調です。100%の準備をして、本番の舞台ではそれを出し惜しみすることなく、全部出し切れたらいい」と語る。
「遮二無二」とか「がむしゃらに」という言葉が縁遠い印象の物静かなアスリート皆川博恵。ライバルのグレー選手については「強いだけではなく試合運びが巧い、とてもクレバーな選手です」と分析する。筆者は7月20日に、岐阜県中津川市で合宿をしている米国選手団を取材した。もちろん、サイボーグのようなすごい体のグレーも参加していたが、確かに聡明そうな顔立ちをしている。日米のクレバーな女性同士の戦いが楽しみだ。(後編へつづく)
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