【ブックハンティング】「言語学」×「プロレス」で見えてくる、難しくて愉快な私たちの「ことば」

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 こんなにはっちゃけたエッセイ本は本当に久しぶりだ。どうかしていると言っても過言ではない。なにしろ冒頭から橋本真也の「時は来た!」発言だとか「ラッシャー木村のこんばんは事件」とか、1990年代の週刊プロレスかと思うようなネタなのである。しかもそれらを──ふんだんにギャグを織り交ぜながら──言語学的に解き明かそうとする。

 著者の川添愛さんが一流の言語学者にして熱狂的なプロレスファンだというのはわかるが、それを混ぜてしまっていいのか。あたかも一流の柔道家だった小川直也が必殺技STO(スペース・トルネード・オガワ。要は大外刈り)をひっさげてプロレスのリングになだれ込み、実力派プロレスラーたちをなぎ倒して、旧来のプロレスファンを戦慄せしめたときを彷彿させる。川添さんはまさに「言語学暴走女王」である……。

 なんてことを書くと、本書がまるで昔のプロレスファン以外には開かれていないように思えるかもしれないが、そんなことはない。X JAPANのYOSHIKIやユーミン、天才バカボン、さらには言語学界のルー・テーズこと(←ウソ)フェルディナン・ド・ソシュールや「現代言語学最強の男」「400戦無敗」(←上と同じ)のチョムスキーをテーマにした話もあれば、なつかしの映画「エマニエル夫人」も登場する。川添さんの友人は「エマニエル」という言葉を「いやらしい」という意味にとらえてしまうが、それはエマニエル夫人によって植え付けられ、その後「エマニエル坊や」によって強化されたという。なぜ、エマニエル坊やがいやらしいかというと「ませているから」とのことで、この逸話からも人間の言語感覚がAIには到底理解できない複雑さと奥行きをもっていることがわかる。

 そう、本書はプロレスや芸能人を引き合いに出して笑いをまぶしながら、人間の言語とコミュニケーションには曖昧さ、矛盾、誤解、ダブルスタンダードなどが満ちあふれていること、その結果、私たちの人間関係は常に難しいこと、でもそれ故に私たちの暮らしが愉快で刺激に満ちていることを教えてくれるのだ。

 加えて、川添さんの最大の魅力は「腰が引けていること」だろう。切れ者の言語学者にして作家らしい説得力のある文章を書きながら、最後はたいてい自らバナナの皮で足を滑らせるような自虐的なオチがくる。この急転直下の腰砕け的フィニッシュホールドを私は「STK(スペース・トルネード・カワゾエ)」と呼び、毎回大笑いしながら心和ませてもらっている。

 だって、通常、言語(ことば)について話すときほど人がマウントをとりたがることはないからだ。「これが正しい」とか「これは間違ってる」とか「みんな、わかってない」というマウンティングなくして言語の話を楽しめる場は、活字媒体でもネット上でもほとんどない。殺伐としていて、後味が悪いったらない。

 その意味で、本書は「何でもありと言っても、何をやってもいいわけじゃない」という言語の本質を示し、かつ「相手のよさを引き出しながら観客を満足させる」という上質な言語学プロレスをやってのけている。200%自信をもってお勧めしたい。

高野秀行
ノンフィクション作家。1966(昭和41)年、東京都生れ。早稲田大学卒。1989(平成元)年、同大探検部における活動を記した『幻獣ムベンべを追え』でデビュー。2006年『<a href="ワセダ三畳青春記』で酒飲み書店員大賞を受賞。2013年『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を、2014年同作で梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞する。『アヘン王国潜入記』『西南シルクロードは密林に消える』『イスラム飲酒紀行』『移民の宴』『謎のアジア納豆』『辺境メシ』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』などの著書がある。

Foresight 2021年7月31日掲載

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