「差し上げましょうか?」ふかわりょうが感動した、黒木瞳から届いたプレゼントとは
砂時計を使用する生活への憧れ
「私は、砂時計を見ているの」
意外な言葉が返ってきました。黒木さんの歯磨きスタイル。いや、意外ではなく予想外なだけで、むしろ、とても似合っています。
「砂時計、ですか」
もう20年もの間、砂時計を普段から愛用しているようです。ご両親の死を経験し、そこで受けた「儚さ」を、砂時計に感じるそうです。確かに、砂時計は儚く、どこかもの悲しい。だから、歯磨きで使用する際も、単に時間を計測し、3分経ったらタイムアップということではなく、砂が完全に落ちてしまう状況は「死」を意味し、もう磨くことができないのだそう。
もう、磨くことができない。黒木さんの美しさの根源は、ここにあるのではないかと、腑に落ちる感覚がありました。もちろん、元々の価値観や考え方、生き方が砂時計と共鳴し、そのような行動に至るわけで、生まれながらの資質があったのだとは思いますが。
砂時計。パソコンで待機時間に目にするあの砂時計。果たして、最後に使用したのはいつだろう。そもそも、使用したことあっただろうか。明確にいつ使用したと表現できないほど記憶に残っていません。しかし、砂時計を使用した日常生活はとてもアナログでローファイで、たちまち憧れの眼差しを向けてしまいます。
「黒木さんの選んだ砂時計が欲しいです!」
「差し上げましょうか」
私の熱が伝わったのか、黒木さんの口からそのような言葉が飛び出しました。
「いえ、とんでもないです、自分で買います!」と言うべきでしたが、その時の私は違いました。
「欲しいです! 黒木さんの選んだ砂時計が欲しいです!」
思い切りました。子供のように懇願しました。初対面でここまで大胆になれたのは、私の書籍を精読してくださったから。この方になら甘えられると、末っ子センサーが作動しました。しかし、財布はいただくといいと言うように、黒木さんから頂いた砂時計はそんじょそこらのものとは違います。間違いなく一生の宝物になるでしょう。
「おそらく、本当に贈ってくださると思いますよ」
番組ディレクターが帰り際にまた余計なことを言ってきました。社交辞令だっていいのです。私は期待をせず、今日楽しく話せたことに感謝しました。そうして収録から10日も経たないうちに、私の事務所に届いたのです。
「これからは無ではなく、上の歯、奥歯、下の歯、裏の歯など、歯と対話しながら砂時計の刹那を体感なさってください。砂時計に付いたシールは剥がしてくださいね」
添付のポストカードに手書きの文字。そうして、私の砂時計生活が始まりました。強く握ったら割れてしまいそうな硝子の中に閉じ込められた薄緑いろの砂。この小さな砂時計が、私の人生を変えてくれる気がして。
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